増原綾子(亜細亜大学)

 2024年11月に開催されたKAPAL第6回研究大会では、特別企画として賀集由美子さんのパネルが開催されました。このパネルに参加した筆者は、大学院生だったときに夫とともに何度かチレボンにあった賀集さんのバティック工房を訪れた記憶が蘇りました。これは、その思い出をつづった、ささやかな大会見聞記です。

賀集さんとの出会い

 私たちと賀集さんとの出会いは、私たちがジャカルタで長期の研究調査を行っていた2001年に遡ります。ジャカルタでの生活にようやく慣れた頃、友人のRさんから、ジャカルタから汽車で3時間ほど行ったところにチレボンという、華やかなバティックとご飯の美味しい町があると聞きました。そのRさんから、チレボンの町外れにオリジナルのバティックをつくるために工房を建てた賀集由美子さんという方がいる、ぜひ遊びに行ってみたらと勧められました。当時、バティックといえばジョクジャカルタの渋い色合いのバティックしか知らなかった私たちは、大学院のゼミ仲間でマレーシアに留学中のSさんがジャカルタに遊びに来たのを機会に、3人でチレボンを訪れました。

 チレボンに到着し、さっそく賀集さんの工房におじゃましました。それがスタジオ・パチェです。出来たてほやほや、賀集さんと「相棒」コマールさんの新居でした。床は真っ白なタイルで清潔感あふれる明るい家で、その中庭に工房があり、職人さんが集まってバティック制作にいそしんでいました。ジャカルタはまだ経済危機のただなかで治安が悪く、どこを歩くにも警戒しながらで気が張り詰めており、鼻の穴が真っ黒になるほど排気ガスを吸い込む毎日でした。そんなジャカルタから来ると、チレボンは空気がきれいで、青空が輝いており、素朴で陽気な町の人たちにすっかり気持ちがほぐれました。

 突然やってきた私たちを、賀集さんとコマールさんは前からの知り合いのように温かく迎えてくれました。そして、「チレボンのバティックといえば、とにかくトゥルスミよ!さ、今からいっしょに行こう」と言って、賀集さんはバティックの工房や店が立ち並ぶトゥルスミ村に連れて行ってくださり、有名なカトゥラさんの工房など複数の工房に連れていってくださいました。そこで初めてジャワ島北海岸の華やかなバティックに出会い、心を奪われたのです。スタジオ・パチェでもバティックの制作プロセスを見せてもらいました。

 チレボン・バティックは、メガ・ムンドゥン(たなびく雲)が有名ですが、花のまわりを鳥や蝶が舞う繊細で色鮮やかなモチーフ、海に近いこともあって魚・海老・蛸などが戯れる愉快なモチーフも特徴的です。賀集さんはそういったチレボン・バティックの伝統を取り入れながらも、天然染料にこだわり、色鮮やかなというよりは落ち着いた優しい色合いのバティックをつくっていました。今回のKAPALパネル企画の目玉となった「生命樹」のような大胆な構図の作品がある一方で、細い線1本1本が互いにからみつくような繊細な模様が描き込まれた作品もあります。オリジナル・キャラクター「ペン子ちゃん」の愛らしいペンギンがモチーフとなった作品や、人間たち、動物たちが集う、にぎやかな構図の作品もあり、見ていると自ずと笑みが浮かびます。

チレボン再訪

 すっかりチレボンの町と賀集さんの工房に魅せられた私たちは翌年、ジャカルタ留学仲間のAさんといっしょにチレボンに行き、スタジオ・パチェを再訪しました。陽気な「頑固親父」のコマールさんには、会うたびに「n」の発音を直されました。Cirebonの綴りのさいごの「n」の発音が間違っている、「n」のうしろに「t」を入れて発音すれば正確に発音できるよと何度も言われました。そんなときは賀集さんがやさしくフォローしてくださいました。賀集さんは年がずいぶん上のコマールさんを、お母さんのように「はいはい」といなしていたように記憶しています。年齢差に関係なく、仲良しのお二人でした。

 このときは、インドラマユも訪れました。荒々しい運転のバスにヒヤヒヤしながら初めて訪れたインドラマユは、ひなびた漁村だったという記憶があります。簡素な家々の裏庭には、魚の干物の隣にバティックのサロンが干してありました。賀集さんに紹介していただいたお宅を訪問させていただき、バティックを見せてもらうと、青または紺と白のシンプルな色合いで魚介類がびっしりと描き込まれたカイン・パンジャン(腰巻き用の長い布)に圧倒されました。繊細で華やかなチレボンのバティックとは異なる、漁師町インドラマユの質実剛健なバティックも、私は大好きです。

 留学を終えて日本に帰国した私たちは、しばらくチレボンに行く余裕がなく、3回目の訪問は2006年でした。2005年から大学の非常勤講師としてインドネシア語やインドネシア文化などの授業を始めるようになった私たちは、授業で使う教材づくりのためにチレボンとスタジオ・パチェをしばらくぶりに訪れました。バティック制作の様子を撮影させてもらい、その際にあらためて制作プロセスをレクチャーしてもらいました。職人さんたちが大勢いて、ポーチやティッシュケース、メガネ入れなど小物をつくるためのミシンが何台も置かれ、工房は活気で満ち溢れていました。写真はそのときに撮ったものです。

写真(すべて2006年スタジオ・パチェで筆者撮影)

賀集由美子さん:手元には巾着袋・文庫本カバーなどの作品が並ぶ。
コマールさんとバティック制作の右腕ウィジャさん
バティック制作①下絵:布に鉛筆で描いた下書きを蝋でなぞり、下絵を描く。
バティック制作②描き・伏せ:蝋で細かい線や模様を描いたり、染めないところを蝋で伏せる。描き・伏せは主に女性の作業。
バティック制作③ペン子ちゃんを描く:細いチャンティンを使って、ペン子ちゃんを描いている様子。
バティック制作④染色:色の数だけ描き・伏せ・染め・蝋落としの作業を繰り返す。染色は男性の作業。
バティック制作⑤洗い:冷水で洗って色を落ち着かせる。
バティック制作⑥蝋落とし:熱湯で蝋を落とす。蝋が落ち切らないと、あとでシミが残ることがあるので、この作業も丁寧に行われていた。
多様なモチーフ①                     
多様なモチーフ②

賀集さんの家に飾られていた作品で、チレボンとインドラマユのさまざまな伝統モチーフがびっしりと描き込まれている。それぞれのモチーフには名前がある。バティック制作の参考にもしたそうだ。

日本でも買えるようになった賀集さんの作品

 2006年を最後に私たちはチレボンには行っていませんが、スタジオ・パチェの作品はジャカルタ在住の日本人の間で人気となり、ジャカルタの専門店でも買えるようになりました。東京でも展示会が行われ、来日した賀集さんとも東京でお目にかかることができたのです。チレボンに行けない代わりに、ジャカルタや東京でスタジオ・パチェの展覧会が行われると、できる限り訪れてはメガネケースや文庫本カバー、コースターなどの作品を買い集めました。六本木ヒルズの近くで行われた展示会では、細密画のようなすばらしいモティーフのカイン・パンジャンが飾られ、もちろん買えるような値段ではありませんので、ただただ眺めるばかりでしたが、それだけで幸せな気持ちになったのを覚えています。

 賀集さんのバティック作品は可愛らしく、落ち着いた華やかさと繊細さがあり、日本人の好みに非常に合っていると思います。メガネケース、文庫本カバー、巾着袋、ティッシュケース、ワイン袋、コースターなどは日本人客のニーズに合わせて制作され、縫い目が正確で端の処理もきちんとしており、日本人客を意識した丁寧なつくりになっていました。

 近年、賀集さんの作品に日本で出会う機会は減っていましたが、KAPALが立ち上がり、ホームページの背景に賀集さんの作品が使われることになりました。しっとりとした藍の地の色にペン子ちゃんと海の生物たちが戯れる「賀集ワールド」の美しさをあらためて実感し、久しぶりにチレボンに行ってスタジオ・パチェを訪れ、賀集さんやコマールさんに会いたくなりました。しかし、その矢先にコロナ禍が始まり、2021年6月、賀集さんとコマールさんは新型コロナウイルスに感染して、チレボンにて亡くなられたのです。突然の訃報に接し、言葉もありませんでした。

 2024年3月、佐倉市立美術館で賀集さんの作品を集めた展覧会が開催されました。2日間限りでしたが、生命樹をはじめとする多くの逸品が集められ、賀集さんゆかりのチレボン在住のご友人たちの写真や言葉が添えられた素晴らしい展覧会でした。会場には賀集さんの作品を愛する人、賀集さんの作品にふれるのは初めての人など、さまざまな人が訪れており、作品を熱心に鑑賞していました。私もそこで初めてお会いする方々と語らい、このようなご縁を導いてくださった賀集さんにあらためて感謝の念を覚えました。

KAPAL研究大会での賀集さんの企画

 たまたまそのあとに行われたKAPAL大会プログラム委員会での初会合で、新しく大会プログラム委員に就任された工藤裕子さんから、「研究の企画というわけではないんだけれども・・・」と、遠慮がちに賀集さん企画をご提案いただいたのです。私は一も二もなく賛成でした。大会プログラム委員会は満場一致で企画に賛成し、実現のはこびとなりました。

 そのとき私は、これからのKAPALのさまざまな可能性とメンバーの多様性を広げていくためにも、このような企画は重要であると考えました。単身インドネシアに渡り、バティックを一から学んで現地の人と一緒に自分の工房をつくり、チレボンの伝統的な製法やモチーフを取り入れながらも、オリジナルの作品をつくっていった賀集さんの人生と作品の軌跡を共有することは、私たちインドネシア研究者にとっても大事な学びになると思ったからです。今回の企画はさまざまな意味で、とても有意義なものであると感じたのです。

 企画では、ジャカルタと東京をインターネットでつないで、賀集さんと特に親しかった池田さんや、さかきばらさんに賀集さんの経歴やその作品について語ってもらい、ありし日の賀集さんのジャカルタでの講演など貴重な過去の映像も流れました。会場に賀集さんの作品が数多く展示されただけでなく、佐倉での展覧会でもひときわ存在感を放っていた巨大な生命樹のバティックを部屋全体に広げるという、あっと驚くようなイベントが最後にあり、発見や感動の連続でした。賀集さんの生き様やその作品をKAPALメンバーの皆さんに紹介したいという、工藤さんの熱い思いが伝わってきました。

 賀集さん企画はこのように大成功に終わりました。20年以上も前に初めて訪れたチレボンとスタジオ・パチェを思い出し、とても感慨深いものでした。企画を一手に引き受けてくださった工藤さん、会場担当の野中さんと太田さん、登壇してくださった皆さん、展示にご協力いただいた皆さん、すべてのご尽力のおかげです。心に残るすばらしい企画に、あらためてお礼を申し上げます。

 さいごに、この世にすばらしいバティック作品を残してくださった賀集由美子さん、本当にありがとうございました。

(了)