坂本 勇(ジャカルタ・テキスタイル博物館シニア研究員)
わたしは2014年から2020年までジャカルタ・テキスタイル博物館に所属し、そこでインドネシア及びオーストロネシア語族の移動先に広がった樹皮布/紙の調査研究をするという貴重な機会を得ることができた[1]樹皮布/紙については、坂本勇「南の「海のシルクロード」の紙 」 … Continue reading。首里城火災後、コロナ禍の影響もあって沖縄での滞在が多くなり、現在は畑村洋太郎氏が創始した失敗学会に「首里城火災分科会」を新設し、沖縄の地元とのコーディネート役を務める。中身としては、“首里城火災は怨霊が火を放った”という県民の苦渋の説明に対して、科学的に失敗から学び、同じ失敗を繰り返さない対策を共に考え提言していこうとする方々の集まりである(http://shippai.org/shippai/html/index.php?name=news1117)。来る8月8日(土)午後1-4時沖縄産業支援センター/ホールで「サニー・カミヤ氏、飯野謙次氏ほかの講演交流会」を予定し、Zoomオンライン参加も募っている[2] … Continue reading。
以下では、新型コロナ感染が広がる前の2018年から2019年にかけて取り組んだ、中部スラウェシ州の地震被災地パル市にある州立博物館(Museum Negeri Propinsi Sulawesi Tengah. 以下ではパル州立博物館と称す)への支援活動について簡単に紹介したい。
災害発生とパル州立博物館支援の始まり
2018年9月28日18時2分、M.7.5の地震が州都パルの北方78kmで発生し、地震から5分もたたずに最大波高10m程の津波がパル湾両岸に押し寄せた。また、地震と同時に大規模液状化がぺトボ、バラロア、ジョノオゲ、シバラヤ地域で発生した。津波と液状化の犠牲者は4,000人程、液状化の行方不明者が1,000人ほどとされる。ウィキペディアの「2018年スラウェシ島地震」の記述では、「世界でも例のない、液状化現象による大規模な被害が発生し、地すべりによるとみられる津波も発生した」と特徴づけられている[3]発生の約2カ月後に実施された地震の物理的被害に関する調査結果は、多くの地図と写真を用いた報告書 “Geotechnical damage in the 2018 Sulawesi earthquake, … Continue reading。
パル被災地支援の契機は、2008年8月にインドネシア科学院(LIPI)、国立台湾史前文化博物館、日本のNPO法人PHILIAの合同で実施した「中部スラウェシの樹皮布Beaten Bark Cloth/Paperに関するフィールド調査」であり、調査を呼びかけた文化財保存修復家である筆者が、その後頻繁にパル州立博物館を訪ね、博物館職員と懇意の間柄であったことによる。
インドネシアでは、アチェ大津波後の2007年に「国家災害基本法」が制定され、第3章第6条g項に「オリジナルで信頼できる文書の災害の脅威及び影響からの保護」(pemeliharaan arsip/dokumen otentik dan kredibel dari ancaman dan dampak bencana)いう政府の責務が明記された。また大災害直後には、国立公文書館が官民記録資料の緊急調査と保全を行う専門チームを現地に派遣する制度がある。パル地域には災害から10日目頃に専門チームが派遣されていた。その報告を読み、パル州立博物館の要請で、筆者とテキスタイル博物館スタッフの2名は16日目に現地に入り現状を調査し、どのような支援が必要か現地側と話し合った。
パルを津波が襲った時間帯には、本来なら病気治癒や豊作祈願のため山の中でひっそりと行われる「バリア」儀礼が、観光促進イベントとしてパル市のタリセ海岸で行われていた。突然、会場を津波が襲い、多くの参加者が亡くなった。被災者の間では、この災害は儀礼の目的が誤っていたことに対する天罰だとのうわさが広く流布したという(https://www.jakartashimbun.com/free/detail/44733.html)。
昨年の沖縄の首里城火災において、「那覇大綱挽」の大綱が行事中に切れ、不吉な事が続き、神々の怒りが災禍を招いた、と古老達が語るのを聞いた。これらのローカルな声を、非科学的として嘲笑する人は多い。しかし、こうした声を、古来からの霊的な儀礼が観光に取り込まれていく事への反発や、謙虚さを失いがちな現代社会への暗示と捉えることも必要に思える。
パル被災地支援事業の内容
本事業はユネスコ遺産緊急基金(UNESCO-HEF)の支援を受け、3本柱から構成されている。一つ目の柱は、博物館収蔵品への対応で、収納棚から落下し6割以上が粉々に破損した陶磁器片を、プラスチック箱へ回収することである。回収作業は、床に1m四方のマス目を紐で描き、マス目毎に位置記号を書いてプラ袋に入れ、修復結合の助けとした。修復接着作業には、インドネシアで初めてパラロイドB72(アクリル共重合体の樹脂。透明でコメ粒ほどの固形。高純度アセトンで溶解し使用)を用いた。作業の細かい指導は、ジャカルタ陶磁器博物館のバスキ氏とオーストラリアの大学で修復教育を受けた若いサイフル氏が行った。ユネスコへの報告では修復作業と書いたが、実質は東南アジア陶磁器の専門家との共同作業が実現できず、破損陶器片の廃棄を防ぐ応急保全処置であった。パラロイドB72接着剤は、再度接着部を外し、再接着することが原理的には可能である。
二つ目の柱は、災害後の復旧の考え方や実践例を体験的に学ぶスタディ・ツアーであり、パル州立博物館のイクサム副館長と地元紙『Radar Sulteng』(中スラウェシ・レーダー)の中堅女性記者を8日間東京と東北に招いた。ツアーの成果は、地元紙に6回連載された。
三つ目の柱は、博物館周辺地域の青少年に、今後の災害に備えた防災意識やその具体例を普及させていく教育普及支援である。具体的には、震災直後の子供達が「被災経験」を描いた絵画260点ほどをまとめた本の出版、市内の小学校での出前災害教育授業、東日本大震災復興支援プロジェクト「失われた街」を紹介するイベントの開催などを行った。さらに事業の終盤には、パル州立博物館において破損陶磁器修復作業の紹介、自然災害のメカニズムと対処法を体系的に学べるコーナーを設置し、大勢の来場者があった。これらの支援の様子は、エキサイト・ブログPHILIA-Kyoto「Palu被災現地レポート2018①-⑫、2019①」でも紹介されている(https://philias.exblog.jp/30107715/)。
プロジェクトを終えて
2018年11月半ばから2019年10月にかけて行われたパル被災地支援プロジェクトの終了後に、ジャカルタの国立博物館日本語ガイド・グループのMさんとTさんから、A4サイズの分厚いスクラップ・ブック2冊を贈呈いただいた。そこには、発災直後から1周年を経た2019年12月までの「じゃかるた新聞」に掲載された、全ての「パル災害」関連記事の切り抜きが整理されていた。デジタル版では分からない記事のボリュームや、全体を俯瞰して読めるダイナミックさがあった。
1周年が終わり、海外からのNGOスタッフが新年度に向かって踏みだそうとしていた矢先、2019年12月初めに、パルとマカッサルの両都市で、海外NGOスタッフを対象としたビザの一斉チェックが実施された。入管の指摘は、労働ビザ(申請側の費用と手間が多大に増える)を所持せよというもので、所持していないスタッフは全員スラウェシから追放されたと聞く。最近知った事だが、中部スラウェシで活動するテロ・グループ3名が災害ボランティアに紛れ込んでいたとあり、これが摘発の事由だったのかもしれない。だが、何がホントなのかは一般人には分からず、摘発の真相は不明のままだ。
パルでは、津波対策として、東日本大震災の被災地で論議を呼んだ背丈よりもはるかに高いコンクリート壁が長城のように建設される計画に、「海との共生が崩れ、自然環境を破壊する防潮堤だ」と反対の声が地元住民から上がっていた。こうした際に、外国人スタッフは海外の多様な実践事例を地元住民に伝えることができる。外国人スタッフが次々に追放されると、パルの地元住民にとっての生きた情報源は消えてしまう。幸か不幸か、7キロ以上にわたる防潮堤は、現在建設中である(https://radarsulteng.id/konstruksi-pengaman-pantai-amankan-garis-pantai-teluk-palu/)。
脚注