合地 幸子
(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・ジュニア・フェロー/
東洋大学アジア文化研究所・客員研究員)
世界的に蔓延しているコロナ(正確には、新型コロナウィルス感染症)は、本エッセイの執筆時点(2021年3月)になっても未だ収束していない。インドネシアは東南アジアの中では感染者数と1日の死亡者数が最も多い国となり、2月初旬をピークにわずかに減少しているものの、感染数や死亡数がこのまま減少するかどうかは未だ予断を許さない[1]COVID-19 Dashboard by the Center for Systems Science and Engineering (CSSE) at Johns Hopkins University (JHU). https://coronavirus.jhu.edu/map.html。インドネシアにとり、緊急対応を迫られた事案のひとつは、移住労働者の帰国にかかわるものであろう。
私は日本のある地域の受入れ団体・企業で働くインドネシア人技能実習生に対するインドネシア語による相談員をしている。相談員と言っても話す内容は、制度や人権にかかわる問題よりも「ニキビが治らない」や「交際相手にフラれた」など、日常生活上の問題や人生相談が多い。以下では、この世界的なコロナ危機の中で帰国した元外国人技能実習生からメールなどで知らされたインドネシア到着後の体験談を紹介したい。なお、氏名はすべて仮名である。
日本における外国人入国規制と段階的な緩和
周知の通り、日本では2020年2月にクルーズ船で陽性者が確認されて以降にコロナ対策が始まり、その初動は遅かった。間もなくして、日本政府はコロナ対策の一環として外国人入国制限を発表した。その影響で外国人技能実習生の中には、技能実習期間が終了したにもかかわらず、来日できなくなった新規受入れ者の代わりに急遽在留資格を「特定技能1号」に移行して日本に残留した者がいる。また、受け入れ企業の倒産によって他の受入れ先に移った者もいた。
一方、2020年の夏頃から特定の国からの「ビジネス上必要な人材等」に限り段階的に外国人入国制限が緩和されたことで、「夢の来日」を果たした外国人技能実習生もいる。多くのメディアでも報じられたように、外国人入国規制緩和が全面停止(2021年1月21日)となるまでの間に来日した外国人は、7割以上が留学生と技能実習生で占められていた[2]出入国管理庁「国際的な人の往来再開に向けた段階的措置等による入国者数(速報値)」http://www.moj.go.jp/isa/nyuukokukanri04_00020.html。国籍別では中国、ベトナム、インドネシアが上位を占め、インドネシア人の在留資格の約7割が技能実習生であった。
インドネシア帰国後のPCR検査と自主隔離(karantina mandiri)
日本における第1波が過ぎて以降、新規受入れ者と入れ替わるようにして、日本で働いていた外国人技能実習生には一時帰国あるいは帰国していく者が増えていった。当時、インドネシア帰国後の自主隔離に関する情報が錯綜していたため、彼・彼女らの中には、インドネシア到着後の自主隔離を免れるのに役立つだろうとの思いで、自費でPCR検査を受けてから日本を出国しようと考える者もいた。ところが、当時の日本ではPCR検査を受けるのは容易ではなく、遠方の病院にまで出向く必要があったり、英文証明書の発行を含む費用も5万円以上であった。日本人ですら支出をためらう金額である。毎月家族へ仕送りし、帰国時には少しの現金しか手元にない技能実習生にそんな大金を支払う余裕や勇気はなかった。それでは、インドネシア帰国後の自主隔離とはどのようなものなのだろうか。
インドネシアへ帰国すると、施設に移動してそこでPCR検査を受け、結果を待つ間は当該施設ないし他所で5日間の自主隔離をする必要がある。なぜ14日間ではなく5日間であるかについて、「Covid-19対策強化タスクフォース(Satuan Tugas (Satgas) Penanganan Covid-19)」による説明は明確ではないが、出発48時間前までにコロナ陰性が証明されていること、到着後に受ける2回のPCR検査が陰性であることで施設における自主隔離は5日間で終了するということのようだ[3]Penjelasan Pemerintah soal WNA Hanya Wajib Karantina 5 Hari. (Kompas.com 29/12/2020). https://nasional.kompas.com/read/2020/12/29/12283671/penjelasan-pemerintah-soal-wna-hanya-wajib-karantina-5-hari。
ジャカルタの場合、自主隔離場所にはいくつかの選択肢がある。ひとつは、自費で宿泊するホテルである。ホテルには金額によっていくつかのランクがあり、個室を希望することもできる。もうひとつは、政府の用意する無料の施設ウィスマ・アトレット(Wisma Atlet)で、2018年に開催されたアジア競技大会の選手村として使用されていた宿泊施設である。ウィスマ・アトレットはいくつかの棟から成っており、陽性者の治療および軽症者の隔離施設として使用されている他、帰国者の自主隔離施設となっている。宿泊費や検査費、食費が無料であることにより、多くのインドネシア人はウィスマ・アトレットを選択するのだが、相部屋となる。
ウィスマ・アトレットの5日間の隔離生活:サントソさんの体験
以下は、ある元技能実習生が実際に体験した帰国後の自主隔離生活の話である。
サントソさん(30代、男性、元外国人技能実習生・漁業)は、2021年2月中旬にインドネシアへ帰国した。スカルノ・ハッタ国際空港に着くと、ロビーはトルコやイラク、サウジアラビアからの飛行機で帰国した人たちで一杯だった。深夜から明け方まで待って手続きを終えると、まず電子健康状態申告書(Kartu Kewaspadaan Kesehatan / Indonesia Health Alert Card: eHAC)のQRコードをダウンロードするように言われ(例えば、https://inahac.kemkes.go.id/)、次に自主隔離場所を選ぶように言われたのでウィスマ・アトレットを選択した。
建物の外へ出ると、ウィスマ・アトレットへ向かうバスが数台待機している。スーツケースを預け1台に30人ほどがバスに乗り込む。ウィスマ・アトレットに着くと、スーツケースを持たずに手続き場所へ行くよう指示される。スーツケースは1カ所にまとめて置かれ、そこには若い軍人がいる。軍人の多さに怖さを感じた。
まず、名前などを紙に記入すると自主隔離生活でストレスが溜まって逃げないようにパスポートを渡すように言われる。手続きが終わると決められた部屋の鍵を渡される。鍵を手にして初めてスーツケースを取りに行くと、女性2人のスーツケースがなくなっていた。荷物を見張るどころか携帯電話を見ていたり煙草を吸っていたりしている軍人には、インドネシアらしさを感じるとともに怒りさえ湧き上がった。
割り当てられた部屋は全く知らない男性と3名1室だった。PCR検査やその結果などは、この部屋番号で管理されているようだった。部屋の扉を開けると、中はベッドが2つ置かれた小部屋とベッドが1つ置かれた小部屋に分かれていて、小さなソファーとテーブルがある。シャワールームにはトイレと小さな洗面台があり、お湯は最初の5分ぐらいしか出なかった。
検査を受けた後は部屋で結果を待つだけなのだが、初日は感染リスクを考えるととても怖かった。しかし、「インドネシア人は話好き」なため3人は部屋で自己紹介をするなどして過ごすことにした。同室者のバンバンさん(20代、男性)は、日本から帰国した外国人技能実習2年目(工場勤務)の一時帰国者だった。コロナ禍で仕事が無くなり、毎日掃除ばかりしているので一時帰国を申し出たという。もう一人の同室者ハルジョノさん(30代、男性)は、南アフリカからの帰国者で、フィジーで操業する中国船籍の漁船に乗船していた。ここ数年、中国漁船で働くインドネシア人漁船員に対する虐待や殺人などの人権問題が大きく注目されている[4]Ada Jenazah WNI di Kapal China, Diduga Korban Kerja Paksa. (CNN Indonesia online 09/07/2020). … Continue reading。ハルジョノさんはそうした光景を2度も目撃し、怖くなって契約期間が終了したところで帰国したという。3人はすぐに仲良くなった。
食事は1日3回、館内放送で知らされ、エレベーターの前に置かれた弁当箱を取りに行く。それ以外は部屋を出てはいけない。しかし、あまり守られていないようだった。同じフロアーにはサウジアラビアから帰国した多くの女性が滞在していた。聞くと、PCR検査が陰性だったので今から夫が迎えに来るという女性や同じ部屋の3人が全て陽性だったという女性もいた。若い子が部屋でエアコンを使ったので、窓を閉め切っていたのがまずかったと言っていた。知らない人と同じ部屋になって部屋の中で感染することがあるかもしれない。窓を開けて換気した方がいい。
陽性者は頻繁に出た。「9号棟18階の住人の皆さん、部屋に入って下さい」という館内放送があると、やがて職員が来て陽性者を連れて行く。ドアを開けて覗き、誰が連れて行かれたのかを見る。徐々にフロアーの様子がわかってきた。
2日目になると、誰かが部屋をノックした。それは前にある部屋で自主隔離をしている3人だった。おしゃべりにきたのだ。インドネシア人は、こういう場合「どうぞどうぞ」と言って部屋に入れる。ひとりは、在日本インドネシア大使館で働くモハマドさん(40代、男性)で仕事のために帰国したという。もうひとりのルディさん(50代、男性)は、タンカー船で役職に就いている。ヨーロッパや東アジアの海を航海した話が面白い。最後のひとりアクバルさん(20代、男性)は、トルコで経済学を学ぶ留学生だった。3人とも英語が流暢だ。そしてこの部屋ではそれぞれが働いていたり学んでいた国の言葉が聞けた。6人は直ぐに仲良くなった。
こうして毎日話に花を咲かせ、食事を共にした。この部屋では、職業的な順列は何もない。ただ、年上を敬う規範から、ソファーに座って食べるのはルディさんとモハマドさんで、その他は床に座って食事をとった。全員マスクをしていない。もう皆コロナのことなど頭から消えていた。
ここへ来た時、ウィスマ・アトレットの職員は、自分の行動を良く考え、自主隔離のための規則を守り、それでもストレスを溜めないようにと言っていた。14階に滞在していた人で、あまりのストレスから飛び降りようと考えた人がいたようだった。でも、不安だった初日を除き、ここでの滞在は楽しかった。ここには友達が沢山いる。皆で話していれば元気になる。それがコロナ感染防止の一番の薬だ。
つながりと支え合いの文化
サントソさんの5日間の自主隔離生活は終了した。その後、サントソさんは、同じ県の出身だったハルジョノさんと一緒に出身村方面へ戻り、今は家族と共に元気に暮らしている。決して出会うことのなかった6人が、ウィスマ・アトレットでリスクを共にした5日間は、コロナに対する恐怖感を初対面でも気さくに話すインドネシア人的気質で乗り切ったようである。
現在ウィスマ・アトレットでは、陽性者数が増加傾向にある。2020年3月23日からこれまでの累計で陽性者数は66,604人となった[5]Pasien Covid-19 di Wisma Atlet Kemayoran Naik 172 Orang, Jadi 4.631 Orang. (TEMPO.com 27/02/2021) … Continue reading。また、サントソさんがウィスマ・アトレットを出た後の2月末に、全インドネシアで過去に検査した検体の中からインドネシアでは初めてイギリスからのコロナ変異種が2例発見された。ウィスマ・アトレットでの自主隔離生活は依然油断できないレベルにある。
ここで紹介した話は、サントソさんの体験談であって、ウィスマ・アトレットの他の棟やフロアーに共通する話かどうかわからない。また、サントソさんのような人たちがいることで感染が収まらないという単純な話でもない。誤解を招かないように言えば、サントソさんが日本に滞在している時は、「3密」を避け日本の規則に従っていたことを私は覚えている。
ここでサントソさんの事例が示しているのは、困難な状況に打ち勝つ力や苦境から回復しようとするインドネシア人的な関係構築力の高さである。ウィスマ・アトレットの職員が次は自分の部屋へ陽性を宣告しにくるかもしれない恐怖と向き合いながらも、人と人とのつながりを通して支え合う、これこそがインドネシア人的な自主隔離のひとつのあり方なのだ。日本人と比べてインドネシア人は規則を守るのが苦手かもしれない、しかし関係を構築することは、はるかに上手ではないか。
インドネシアは4月にコロナ禍での二度目の断食月を迎えようとしている。コロナの早い収束を願いたい。
脚注