【カパル第3回研究大会シンポジウム関連企画3】
加藤 剛(PT. Wana Subur Lestari 他2社)
Wana Subur Lestari社(以下WSL社)は住友林業グループのひとつで、インドネシアで植林事業を展開している。会社の名称は「持続可能で豊かな森」を意味する。わたしはこの10年以上、西カリマンタンにある2つのグループ会社の経営責任者として、泥炭地と森林と希少動物の保全の3者を調和させつつ、同時にどのようにしたら木材生産のための植林事業を進めることができるかを模索してきた。昨年の12月には2つの会社の隣接地域に対する産業植林資産と事業権の取得が認められ、西カリマンタン州での管理面積は合計約155,000ha、山手線内側の約25倍相当の面積になった。西カリマンタンでのこれまでの取り組みがインドネシア政府により評価された結果だと考えている。
以下では、2021年に3回にわたり『月刊インドネシア』(2月号、3-4月号、5月号)に掲載したエッセイ「短期集中連載 インドネシアから考える気候変動問題」を元に稿を改め、WSL社に代表される住友林業グループ会社の西カリマンタンの泥炭地における取り組みを紹介し、カパル第3回研究大会シンポジウムにおけるわたしの報告の補足説明としたい。エッセイの一部修正と転載を認めていただいた一般社団法人・日本インドネシア協会には厚くお礼を申し上げる。
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泥炭地が貯め込む大量の水
今や年中行事のようになったカリマンタン島やスマトラ島の泥炭地の大規模火災。その中でも近年で言えば2015年のそれが特筆される。このときの火災では、インドネシアだけで約460万ha が焼失したという報告がある(インドネシア政府の発表では約270万ha)。仮にそれが正しいとすれば、関東地方の面積の約1.5 倍が失われたことになる。
その結果、周辺国を含めて10万人以上が呼吸器系疾患、心臓発作などで命を落としたと米国の合同チームらが報告している。しかし、それ以上に世界の注目を浴びたのは火災によって発生したCO2 の放出量であろう。一説には8.9 億トンともいわれ、その年の世界のCO2 排出量の3%に相当する。アメリカやオーストラリアでも大規模な火災は頻繁に起こっている。しかし、熱帯地域の火災は特に注目される。それはやはり泥炭の存在が大きい。
泥炭地を構成する土壌、つまり泥炭の大部分は水だ。住友林業グループの西カリマンタンの3つの事業地とそれらに隣接する政府指定の保全林、計14万5,000haの泥炭地の貯水量は、ラフに計算すると約56億㎥である。日本の生活水利用量が年間約146億㎥(2017年)であることを考えると、その38%相当の量を西カリマンタンの一地域の泥炭地が貯えていることになる。水以外の泥炭の残りはというと樹木などの植物遺骸、すなわち枯れ落ちた枝や枯死した木々の幹や根が腐らずに堆積したものである。少しだけ専門的な表現をすると、植物遺骸(有機物)が微生物により分解される速度よりも、植物遺骸が供給される速度が上回っている場合に泥炭が形成される。北欧や北海道などの寒冷地でも泥炭は見られるが、それらは熱帯の泥炭とは異なり、低温によって植物の遺骸が十分に分解されないことが原因で形成されたものである。
泥炭地を火災から守り植林を可能にする水のコントロール
逆説的だが、水が豊富であるという泥炭地の特徴と、インドネシアで度々起こる大規模火災には密接な関係がある。問題は泥炭地の水がなくなったときである。一般的に、栽培植物は根が水に長期間浸かっていると酸素欠乏で根が呼吸できずに枯れてしまう。泥炭地は水が大部分を占めるのだから、元々利用には向いていない土地と言える。そこで、泥炭地を利用するために、泥炭地から水を抜く努力をこれまで重ねてきた。水路を掘り、水を川に流して、栽培植物が育つように地下水位を下げ、植林地やパーム農園として利用してきたのである。
それをサポートする泥炭地の特徴もある。それは、研究者が泥炭ドームと呼ぶように、地形がドーム状になっていることである(図)。
そのため、ドームの頂から川に向かって水路を掘ることで、自然に水は流れ出ていくのである。研究者も認識が誤っているケースが散見されるが、注意していただきたいのは、ドーム形状とはいえ、1km 進んでたったの60cmしか標高が高くなるだけの傾斜しかない。現場を歩けば、ずっと平坦地が続いているとしか思えない。しかし、このわずかな傾斜でも、水路を作れば、水は高いところから低いところへ流れていくのである。
排水行為が続けられ、雨の降らない乾季に泥炭の水分が完全に失われれば、数千年以上にわたって蓄積されてきた泥炭が燃えやすい有機物の塊となってしまう。そこに一度火がつけば、あとは一気に燃え広がってしまうだけである。おまけに地表面の火を消しても、地中では有機物が燻ぶっている可能性が高く、それがいつ地表の火事へと転じるか分からない。2015 年には、数万ha もの面積を焼失させた企業もあったが、従来の誤った排水型の利用方法にとらわれ、泥炭火災に対して適切な対策ができていなかったとしか言いようがない。
等高線間隔50cm の地形図が火災を防ぐ鍵に
重要なのは、火災が起こらない環境を作ることである。地表面が常に水で覆われた状態にすれば火災は起こらないだろう。しかし、植物はそれでは育たない。そこで、年間を通して地下水位を40cm に維持するのである。また、どこで計測しても常に40cm になるようにしなければならない。地下水位を40cm にすれば地表面まで湿った状態が保たれ、泥炭に火がつくことはない。また、植林木も問題なく育つ。40cm という基準は、2014 年の政令で決められたが、その数値の根拠には、インドネシアにおける北海道大学の研究チームによる20 年以上にも及ぶ研究成果が反映されている。
地下水位を40cm に保つには何をすればよいか。それは、ごくごくわずかな傾斜をも把握できる地形図の作成である。具体的には、等高線間隔が50cm の地形図を作ることである。地形図ができれば、いかに対象地全体に水を貯めるかをポイントにして、インフラ整備を含めた事業計画図を作るだけである。きわめてシンプルな発想だが、WSL社は世界で唯一、机上の計画だけでなく、従来の排水型とは異なる貯水型の植林事業モデルを構築しそれを実現することに成功した。新しい事業モデルのお陰もあり、インドネシア各地で火災が発生した際にも植林地で火災を起こすことはなかった。
なお、この手法はあくまでも乱伐などにより劣化した泥炭地をみどりに戻すための技術であり、手つかずの天然林の新規開発には強く反対することを記しておく。
イノベーションが気候変動対策の明日を拓く
2015 年の大規模火災で、植林による修復が必要な泥炭火災跡地は約200 万ha あると言われている。放置すれば泥炭の分解がさらに進み、火事がなくとも土壌有機物の分解自体が莫大なCO2 の放出に繋がる。しかし、修復のベースとなる地形図は売られていない。新しく作るのも容易ではない。
先に、WSL社は世界で唯一、机上の計画だけでなく、貯水型の植林事業モデルの構築とそれを実現することに成功した、と述べた。なぜ、他の企業はこれをしなかったのか。それは、地図の作成が多くの資金、時間、手間を必要とするからである。WSL社では、貯水型の植林事業モデルを開発するために、5年の歳月と莫大な資金ならびにマンパワーを調査活動に投入した。なにしろ対象とする事業区域の面積は広大である。時間・資金・人員の多くは、先の等高線間隔50cm の地形図作成のために投入したと言っても過言ではない。
これに関係して言えば、クルマの自動運転・衝突防止用センサーの小型化、大量生産に期待を寄せている。これはLiDAR(ライダー)技術と呼ばれ、光の反射する性質を利用して対象物までの距離を測定するもので、車間距離を一定に保ち、衝突を防止するために必須な技術である。一部のドローンやスマートフォンにも使われている。
この技術は地形測量にも近年用いられてきた。だが、小型飛行機と大がかりな機器が必要となり、あまりにも高額で実用的とは到底言えなかった。その技術がクルマの進化と共に小型化して、大量生産される。それをドローンに搭載して詳細な地形図が安価で短期間に作成できるようになれば、200万ha の火災跡地の修復、すなわちCO2 放出を抑制することができる(写真)。
それだけでなく、インドネシアを超えて、2019年に大規模火災を起こしたアマゾンやアフリカのコンゴ盆地の泥炭地にも広めることが可能となる。
今や世界が、気候変動対策や森林保全・生物多様性保全に応用できる革新的な技術イノベーションを求めている。目指すのは、オールジャパンとインドネシアが協力・率先して、地球規模の気候変動対策に貢献することである。