博士課程院生(※)

 2024年10月から約10ヶ月の間、ジャカルタを拠点に博士論文のフィールドワークを行った。「インドネシアの鉱物資源オリガーキーの政治力学」をテーマに、現地で資料収集やインタビューを実施するというのが、正式な研究計画だったわけだが、「30代前半独身男性、彼女なし」という自身の身分を生かして、現地で新しい友達を探す目的でマッチングアプリを使い始めた。そこで、研究対象の枠を超えたありのままのインドネシアを目にすることができたので、ここにネット社会が発展した21世紀ならではの、地域への理解を深める一つの方法という観点から私自身の経験談を記しておきたい。

 私自身、これまで異なる国や地域を数年ごとに転々としてきたこともあり、新しい土地で新しい友達を作るというのが一つの楽しみでもあった。インドネシアではジャカルタのシンクタンクで客員研究員としてお世話になっており、そこでも沢山のインドネシア人研究者と交流をすることができた。一方で、そうしたある種同業の人たちから見聞するインドネシアと、一般の人々の目線から見えるインドネシアとは異なる場合がある。せっかく、長期でジャカルタにいるので、より広い層に知り合いを作ろうと思い、欧米ではかなり人気のマッチングアプリ Bumbleをインストールし、使い始めてみたわけである。

 普段大学やシンクタンクでは接することのない人たちとの交流は新鮮であるし、何よりインドネシア語を使う点でも有益だった。そして、アプリを通じて会った女性たちとの会話の中で本業のインタビュー以上に面白い話が聞けたことは、自身の研究には直接的にはあまり役立たないのだが、長い目でインドネシアの社会と政治を俯瞰する上でとても有益な経験となった。

某大物政治家の孫はアニメオタク

 アプリを通して出会った人の中で一番衝撃的だったのが、インドネシアの一大財閥のオーナーであり、政党の党首も経験した大物政治家の孫だろう。南ジャカルタのイタリアンレストランで会って、話を聞くや否や、祖父が有名な政治家だというものだから、インドネシア政治を研究している人間からすると誰か聞かないわけにいかない。彼女の口からその大物政治家の名前が飛び出した時はかなり驚いたが、実際彼女もそんなに頻繁に会えるわけではないらしい。インドネシアの著名な政治家やビジネスエリートの家族が頻繁に訪日していることはインドネシアをよく知る人たちの中では割と有名な話だが、アニメオタクの彼女も年に数回日本に来ており、オタクの聖地を巡っているらしい。オリガーキーの研究をしている人間がオリガーキーの孫にたまたま会うというなんとも面白い経験であった。

政治家秘書のゴシップ

 出会う人の中には、政党や、私の研究対象である鉱山会社で働いているOLもいたりする。彼女たちから内々の事情を聞くこともできた。これはもちろん公にインタビューとして取ることはできないが、一緒に飲みながら話したりしているといろんなこぼれ話を聞くことができた。某政党の政治家秘書をしている女性からは、自分の上司が他の大物政治家の尻拭いをさせられている話が飛び出したり、インドネシアの某鉱山会社で働いている女性からは鉱山会社のビジネスについて詳しく聞くことができた。このような話は政治家本人や会社の役員にインタビューをしても基本的に出てくるものではなく、その中で働いている普通の人たちからそれとなく聞く方が実は面白い話が聞けるというものなのである。

 この友人とはよく飲みに行く仲になり、ある日ジャカルタのバーで飲んでいると隣に20代前半くらいの若者たちのグループがボトルを開けて飲んでいた。それを見て彼女が「あ、多分あれは〇〇グループの御曹司たちだね」と財閥の御曹司たちが豪遊していることをこっそり教えてくれた。ちなみに、このバーでミネラルウォーターを一本頼むとRp. 100,000(当時のレートでは900-1000円程)するのであるが、私がお昼に食べる屋台のナシゴレンは大体Rp. 25,000(200円程)ということからも、ジャカルタ社会において、いかに富める者とそうでないものとの格差が大きいかご理解頂けるだろう。

インドネシアOLの政治観

 また私がジャカルタにいた時期はちょうど2024年のインドネシア大統領選の年だったということもあり、アプリで出会った人たちにも選挙後に誰に投票したのかをよく聞いていた。ほぼ同世代の人たちがインドネシアの政治をどのように見ているのかというのは、政治学者としても極めて興味深いものである。特に興味深かったのは、プラボウォ―ギブランのペアに投票した友人が、あくまでプラボウォではなくギブランを選んで投票したと話し、その理由はやはりその父親であるジョコウィ前大統領への絶大な信頼であった。ギブランを通じてジョコウィが引き続きインドネシアの政治運営に携わってくれるという期待がそこにはあり、例えば、前回2019年のジョコウィとプラボウォとの大統領選に触れ、勝利したジョコウィがプラボウォを自身の内閣に防衛大臣として迎え入れたことに感銘したと話してくれた。

 大統領を中心に党派関係なく連立を組むという、このインドネシア政治によく見られる現象は、インドネシア政治の研究者の間では、民主主義の後退として議論される。最近の研究では、ジョコウィ政権10年を振り返って、こうした政党やさらには政治アクターの枠を超えた大連立がいかにインドネシア民主主義の原理を蔑ろにしてきたかということが論じられているのだが、いわゆる大卒の一般的な会社員の目にはむしろそれがインドネシア政治のあるべき姿として語られるというのが非常に興味深く、改めてフィールドに出ることの重要性を認識したエピソードだった。

マッチングアプリから見える等身大の都市社会

 フィールドワークというのは、何かしら研究に必要なデータを収集することが目的とされるものである。しかし、自身の研究から少し傍に逸れたところで見つける発見というのもまた、フィールドワークの醍醐味なのかもしれない。その意味で、ある種人々の「日常」にランダムに溶け込めるマッチングアプリというものは、その国や地域の社会や人々の考え方を理解する上でなかなか有益なツールではないかと思う。特に私の場合は、自身の調査で鉱山のある地方に行くことも多く、そこで交流する同世代の人たちとアプリで会うジャカルタの同世代の人たちとの宗教観や政治意識の違い等も色濃く観察することができた。

 こうした経験は、直接自身の研究に結びつくことはなくとも、その国の政治や社会を深く理解する上で有益な示唆をくれるし、延いてはそれが自身の研究につながることもある。実際に、私は地方に出向く傍ら、ジャカルタOLの政治観を観察する中で、インドネシアの政治がジャワ中心的で、地方の人々が「想像」されてこなかったということをそれとなく認識するようになった。このことは、中央―地方間の政治ダイナミズムが重要となる資源政治を研究する上で、今も極めて重要な視点となっている。最後に、アプリを通じて様々な職種やバックグラウンドの人たちと仲良くなり、充実したジャカルタ生活を送ったが、特に彼女ができることもなく10ヶ月のフィールドワークを終えることを報告したい。

※著者の勤務先の諸事情により、特例として匿名での投稿になります。なお情報担当にて、信頼できる著者であることを確認しております。