インドネシア随一の観光地バリで模索される新たな観光のかたち—現地環境NGOの「コミュニティベースト・ツーリズム(住民主体の観光)」プロジェクトから観光をめぐる地域社会の動態を探る
岩原紘伊著『村落エコツーリズムをつくる人びと――バリの観光開発と生活をめぐる民族誌』風響社、2020年、328頁、本体5,000円+税
岩原紘伊(日本学術振興会特別研究員(PD))
博士論文を加筆・修正し、2020年7月に出版した自著を紹介させていただきます。
観光開発は第二次世界大戦後に経済発展の手段として世界各地で行われるようになった。しかし、その中心であるマスツーリズム開発は、1980年代ごろから、自然環境や伝統文化の破壊、国民経済のゆがみなどの負の影響をともなうものとして問題視されるようになった。このような問題意識から、1990年代以降、「持続可能な観光」という理念が新しい観光開発のあり方として提唱されるようになった。「持続可能な観光」とは、「持続可能な開発」を観光分野に適用した考え方であり、これを実現する方策のひとつとして「コミュニティベースト・ツーリズム」(以下、CBT)がある。CBTはその名のとおり住民主体の観光形態であり、国連や世界銀行といった国際機関やNGOによって、発展途上国を中心に環境保全や貧困削減を目的としてプロジェクト化されている。本書ではこのCBTに注目し、今日のバリ観光をめぐる地域社会の動態を探った。
文化人類学を専門とする筆者は、バリにおいて、現地環境NGOと、そのプロジェクトにかかわった村落を対象とするフィールドワークを約2年間実施した。本書は、このフィールドワークのデータに基づき、地域社会の文脈にあわせてCBTがつくられる動態を明らかにしている。以下では、バリ観光を研究することの今日的意義、そして本書の特色について述べる。
バリと観光というテーマは、これまで国内外を問わず大きな研究関心を集めてきた。また、植民地時代までさかのぼるバリの観光開発の歴史やスハルト期のマスツーリズム開発がもたらした社会的・文化的影響は、多くの論文や著書において取りあげられてきた。マスツーリズム開発により、バリの地域内総生産は大きく成長したこと、バリ観光においてマスツーリズムが依然として大きな影響をもっていることは否定できない事実である。しかし、近年は、マスツーリズム開発によるバリの自然環境の破壊や労働移民とバリ人との対立による治安の悪化といった負の影響が国内外から指摘され、バリでは2000年頃から持続可能な観光の実現をテーマとする会議等が開催されている。こうした状況を踏まえて、本書では、バリにおいて先駆的にCBT開発を進めてきた現地環境NGOによるプロジェクトに焦点を当て、バリに暮らす人々が自らの生活を取り巻く問題をどのように認識し、観光と社会の関係をいまどのように構築していこうとしているのかを明らかにすることを目指した。NGOという主体によって、CBTがマスツーリズムのオルタナティブとして推進され、村落社会に導入されるという新しい観光開発の動きとそれをめぐる地域社会の動態は、既存の研究では詳細に検討されてこなかったためである。
本書の特色として記したいのは、近年インドネシアで社会的存在感を増している環境問題に取り組むNGOアクティビストたちの活動実態を、長期のフィールドワークを通して具体的に提示している点である。本書で取りあげた取組は、スハルト政権下の1993年にバリ人を中心に設立された環境NGOであるウィスヌ財団(インドネシア語でYayasan Wisnu)が主体である。スハルト政権下では開発批判を正面から行うことができず、ゴミ問題などに関する環境教育が活動の中心だった。しかし、「改革の時代」の到来を受け活動方針を1999年頃に転換し、村落開発に着手するためCBT開発を活動の中心に据えた。
また、同時に本書において強調したかったのは、CBTと分類されていても、対象コミュニティにCBTを適用する国際機関やNGO、住民といった主体の意図や地域社会の実情によって、現場における実践のあり方が異なるという点である。これまで筆者の専門とする文化人類学による観光研究では、一般的にホストとゲストという二項対立的な分析枠組が用いられてきた。これに対して本書は、ウィスヌ財団やそのプロジェクトの協力者たちを、ホストやゲストではなく、仲介者として考察している。持続可能な観光という理念が普及し、開発プロジェクトを通してグローバルに流通するようになったCBTというコンセプトは、従来バリ社会の外部に存在した制度であり観光に対する考え方といえる。このため本書では、CBTをバリの地域社会にとって新しい考え方や制度として扱い、そのうえで仲介者による導入をめぐる実践について理解を深めるため、バリという地域の実情がどのように影響しているのかを分析した。
筆者の調査当時、ウィスヌ財団の常勤スタッフは3人で、一見すると小規模なNGOであった。フィールドワークを続けるなかで興味深かったのは、ウィスヌ財団の活動が、他の環境NGOや地元新聞およびテレビ番組などで発言する大学教員やジャーナリストといった知識人たちの協力があって成り立っており、3人という人数から推測されるものよりも活動は多岐にわたっていた点であった。筆者はセミナーや会議など外部へ向けた活動だけではなく、住民との意見交換や交流を目的とする村落訪問などに同行し、ウィスヌ財団の様々な活動を観察してきた。その過程で、彼らの自然・文化観が、他のNGO、バリの知識人、そしてプロジェクトが実施されている村落の人々とのインタラクションや共感によっても形成され、ウィスヌ財団のCBTの解釈にも大きな影響を与えていることを知った。それは、ウィスヌ財団=「環境問題に取り組む集団」という単純な前提のみでは、彼らの活動を十全に捉えることができないことを意識させ、本書における議論の方向性を定める際の基盤となった。
一方、CBTを村落へと導入する過程では、プロジェクトにかかわる村落内の協力者たちも大きな役割を持つ。そこで、筆者は2つの村落を対象に、村落に住み込みつつフィールドワークを実施した。
1つは、ウィスヌ財団の直接的な指導のもとCBT開発が行われたI村である。I村ではほとんどの村人がコーヒー生産に従事しているため、コーヒー農園トレッキングを主要な観光アトラクションとする村落ツアーが村人によって運営されている。I村はこれまで、オーストラリア、オランダ、フィンランド、韓国、日本などからの観光客を受け入れてきた。I村では、農業協同組合長と比較的年齢の若い集落長が中心となってプロジェクトが進められ、農業協同組合の下部組織としてCBT運営組織が設立された。筆者の調査当時、約30名の村人が組織のメンバーとなっており、そのなかには現在は農業を生業とするが南部観光地で働いた経験を持つ者もいた。
一方のA村は、ウィスヌ財団によるプロジェクトの影響を受けつつも自発的にCBTが立ち上げられた村である。A村では、湧水源や伝統工芸、伝統儀礼などを観光アトラクションとする村落ツアーが作られている。A村では公式には慣習村がCBT運営組織の母体となり、役員たちが組織に参加している。しかし、実際にCBTの立ち上げに尽力した/しているのは、観光セクターで一定の成功をおさめた人物である。彼は、ポスト・スハルト期に入ってA村における慣習村の社会的役割が拡大および多様化するなかで慣習村長の推薦により新たに役員となった。彼に同調する村人数名が主要メンバーとして彼の活動を支えていた。興味深いのは、A村の主要メンバーたちが観光客の誘致よりも、観光スポットである湧水源のまわりのゴミ清掃を村の青年団に働きかけたり、伝統儀礼を慣習村に働きかけ復活させたりするなどの活動のほうへと注力していた点である。このため、A村ではCBT運営組織が設立されたものの、実際にA村に観光客が訪れることは筆者の調査中ほとんどなかった点がI村とは異なっている。
I村とA村では観光や観光開発の問題に関心の高い人々がウィスヌ財団のプロジェクトに関与しているという共通点がある。しかし、詳しく検討すると、CBTをプロジェクトとして導入する主体であるNGOと、CBTを導入する村落側の意識は必ずしも一致していない。ウィスヌ財団は、CBTを単純にマスツーリズムのオルタナティブとしてではなく、エンパワメントの手段として捉え、プロジェクト化した。I村では、ウィスヌ財団が伝達したCBTに関する考え方や知識が村落のメンバーたちにも受け継がれている傾向がみられる。一方、A村ではCBTは、コミュニティ内部の人間関係の変化やゴミ問題など社会生活を送るうえで直面する問題に対処する手段として解釈され、コミュニティの変革を志向する村人たちによるA村内部に向けた社会改革運動として展開されている。
このような視点から、本書ではバリにおけるCBTの導入を、単なる観光開発ではなく、それを適用するにあたって個々のアクターの意図が埋め込まれた社会変革のための取り組みとして描写している。
新型コロナウィルス感染症拡大により国際的な人の移動が大きく制限されるなか、バリ観光も大きな打撃を受け、観光セクターで働く多くの人々が職を失う事態が生じている。ウィスヌ財団のプロジェクトの対象地となった村落でも観光客の受入はほとんど行われていない。しかし、村落側でツアーの運営にかかわっていた人々は従来の生業も以前と同じように継続してきたため、影響は相対的に少ないと聞く。しばらくはマスツーリズムが世界的に敬遠される事態が続くことが予想されるなかで、小規模な観光形態に対して観光業者や政府の注目が集まっている。本書第7章でも記述しているが、インドネシアでは2010年頃から政府による参加型村落開発の一環として観光村開発が全国レベルで推進され、観光開発のあり方は多様化している。
以上のように、本書はバリの事例を通してインドネシアにおける観光開発をめぐる新たな動きを描き出すことを目指した民族誌である。ただ、本書ではCBTプロジェクトをめぐる人々の実践に焦点を当てているため、ポスト・スハルト期のバリの村落社会が直面する社会文化変容を、村落政治や宗教実践と関連付けて多角的な視点から分析を深めることが十分にできなかった。また、本書で提示した観光を通じた「社会変革」という動きについてもさらなる理論的考察が必要不可欠である。これらの残された課題については、今後の研究で取り組んでいきたい。