インドネシアやタイ、より広くは東南アジアから学ぶ多様なケアのあり方―増大するケア・ニーズとケア実践のための社会再編

速水洋子編『東南アジアにおけるケアの潜在力――生のつながりの実践』(地域研究叢書35)京都大学学術出版会、2019年、ⅸ+586頁、5,600円(税別)

評者: 合地 幸子

(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー/
東洋大学アジア文化研究所客員研究員)

 本書は、東南アジア諸国におけるケアの社会基盤を扱った論文集である。取り上げられる国は、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピン、シンガポール、ラオス、カンボジアであり、特にタイ、インドネシアの高齢者ケアの現状が多く扱われている。

 東南アジア諸国が現在経験しつつある少子高齢化、労働移動の増加による人口変動、産業化は、先進諸国よりも早い速度で進行している。本書の問題提起は、先進諸国におけるケアの理論的枠組みから東南アジア諸国におけるケアを理解することの不適切さである。本書の多分野にわたる執筆者は、高齢者ケアを中心に、乳幼児、妊産婦、HIV陽性者などを分析の対象として、政策の展開過程、家族の変容、ケアをめぐる社会関係や宗教実践のあり方から各国におけるケアニーズの現状を鮮明に描き出している。多くの事例を通して、社会に埋め込まれた実践としてケアを読み解くことが本書の狙いである。

 本書の構成は、第Ⅰ部「グローバルとローカル 制度と実践の展開」、第Ⅱ部「誰がケアするのか?変わりゆく家族とケアの揺らぎ」、第Ⅲ部「移住し往還する人々とケアの広がり」の三部構成をとる全15章に序章、プロローグ、コラム、エピローグが加わる。以下では、本書で扱われるインドネシアに関する論文およびコラムを紹介する。

 第Ⅰ部で伊藤眞(第2章)は、世界保健機関が提唱するアクティブ・エイジングに注目し、インドネシアにおける高齢者政策の展開過程を分析する。その上で、東ジャワ州および南スラウェシ州におけるアクティブ・エイジングの理念に基づく高齢者主体の活動を事例に取り上げ、こうした活動が高齢者に社会参加の機会を提供し、高齢者同士の連帯を強化する可能性を指摘している。

 水野広祐(第3章)は、社会保障制度の確立を歴史的な流れの中で捉えることを試みる。スハルト政権下の1970年代に図られた福祉政策の強化により、インドネシアにおける社会保障制度はコーポラティズム的な性格を帯びるようになった。それにより、それまでインフォーマルセクター労働者保護を目指していた政策は、2004年の社会保障制度(BPJS Kesehatan / Ketenagakerjaan)制定までインフォーマルセクターを保障から排除してきたことが示唆される。

 一方、インドネシアにおいて社会保障が整備される以前から、人びとの間にはセーフティネットとしての扶助組織・扶助関係が見られていた。第Ⅱ部コラムで水野とエカワティ・スリ・ワフユニは、産業化の影響が顕著な西ジャワ州カラワン県の農村社会において2003年に実施した詳細な社会経済世帯調査に基づき、従来型のケア基盤の実態を提示する。

 第Ⅱ部で合地幸子(第4章)は、インドネシアでは最も人口高齢化の伸展しているジョグジャカルタ特別州における高齢者福祉施設(Panti Werdha)を事例とし、親子による扶養の規範の変容を分析する。従来、最終的な老親扶養は子供の義務と考えられてきた。本事例では、子供とりわけ娘に扶養されることを選好する高齢女性と扶養を先延ばしにしたい移住した娘とのせめぎ合いが描かれる。

 以上、ここでは紙幅の関係でインドネシアに関する論考を紹介したが、本書は、東南アジア諸国のケアをめぐる社会基盤について理解を深めるための貴重な一冊であり、また、歴史的諸条件や社会経済的背景の異なる東南アジア諸国の他地域と比較するためにも有用である。