インドネシア語の一次資料、現地のネットワークを駆使し、現在に至る美術の流れと歴史的・文化的背景を人類学的視点から綴ったインドネシア現代美術の動態史

廣田緑著『協働と共生のネットワーク インドネシア現代美術の民族誌』グラムブックス、2022年、496頁、3,600円(税別)

廣田緑(造形作家、国際ファッション専門職大学准教授)

 本書は、愛知県立芸術大学美術学部グラフィックデザイン専攻を卒業した後の1993年、バリ島のウブッで細密画と木彫の修行を始めたのを機に、2010年の帰国まで17年間インドネシアで暮らした私の見聞、資料をまとめたものである。帰国後に博士前期課程(南山大学)・後期課程(名古屋大学)で文化人類学専攻に籍をおき、私自身が身を置き活動してきたインドネシア現代美術領域の動態を、再調査を加えて研究し考察した。そして2016年に名古屋大学大学院に提出した博士論文「インドネシア現代美術と美術家~つくる・買う・支援する主体をめぐる民族誌~」が本著のベースとなっている。

 本書の特徴は、造形作家としてインドネシアの美術界で活動しながら収集した資料と、“同業者”である美術関係者の聞き取りという豊富な一次資料を提示しているところにある。インドネシア語以外の言語では出版されることが少ない美術資料の日本語訳にも重点をおいた。もうひとつの特徴は私の立ち位置である。一般的な人類学研究が、研究対象と一定の距離をおきながら客観性を重視して考察・分析を行うものだとするならば、本書は私自身が調査対象の一部であり、登場するインフォーマントはすべて同業者の知人である。また、本著では、あえて私自身の体験談を意識的に加えている。これは研究者ではなく、インドネシアに興味のある読者、またインドネシアの現代美術に興味のある読者に対して、難しい文体ではなく、読みながらその状況を体感できるような記述を目指したからだ。

 本書は3部で構成されている。第1部「インドネシア美術史の穴埋め」では、インドネシア美術史を先史時代から独立後まで概観し、インドネシア現代美術が誕生する素地となった歴史的・文化的背景を探った。これまで詳細な調査や記述がほとんど見られなかった民族総力結集運動プートラ(PUTERA:Pusat Tenaga Rakjat)や民衆文化研究所レクラ(LEKRA: Lembaga Kebudayaan Rakyat)については、昨今公開された資料から当時の状況が少しずつわかってきている。新たな資料は積極的に紹介するとともに、独立前後の美術の動向を考察した。また現在までインドネシア人の生活習慣として根づいている教育システム、サンガール(sanggar)、ジョグジャカルタに生まれた民族教育学校タマン・シスワ(Taman Siswa)の設立背景と、独立前後に離合集散した画家集団がどのように関わりあい、近代美術が芽生えていったのかを記述した。加えて、バンドゥンのITB派(バンドゥン工科大学:Institut Teknologi Bandung)と、ジョグジャカルタのISI派(芸術院:Institut Seni Indonesia)という、それぞれの画風についてステレオタイプで語られることの多い2都市の美術教育機関について、それぞれの地域の歴史的・文化的背景と当事者の語りから、現在まで繋がるインドネシア美術の特徴を分析した。

 第2部「スニ・コンテンポレル—インドネシアの現代美術」では、“インドネシアの”現代美術、seni kontemporerが生まれた背景について、1965年の政治的転換期、9・30行動とあわせて論じた。初代大統領スカルノから第2代大統領スハルトへと政治が激変するなかで、美術家が追求した「インドネシア人によるインドネシア人のためのインドネシア現代美術」について、エポックとなる1974年のムーヴメント「黒い12月」「新美術運動」、1988年に設立された現代美術画廊チムティ(Cemeti)とそこで活動した美術家たち、そして2007年頃に起こった現代美術市場ブーム「boomin」までの美術界の動態を描いた。私は2000年にバリからジョグジャカルタへ移転し、現代美術作品が若手富裕層の投資家たちに買い漁られる様を目の当たりにしたため、この時期の記述は、とくに臨場感のあるものになっている。

 第3部「プレイヤーの民族誌」は美術界で活動するプレイヤーを、つくり手(第7章、第8章)、コレクター(第9章)、アートインフラの仲介人(第10章)に分け、それぞれの役割や実践について代表的な事例を詳述し、それぞれが緩やかな棲息領域を保ちつつ活動している様を示した。後半の第11・12章は、2000年以降の活動が目立つコレクティヴの事例と実践を詳述している。2022年にドイツのカッセルで開催された歴史ある現代美術の国際展「ドクメンタ15」は、本章で詳述されているジャカルタのコレクティヴ、ルアンルパが芸術監督となったことで、インドネシアの現代美術が注目される契機となっており、本章の記述は日本語でルアンルパの実態を詳細に知ることのできる資料といえるだろう。

 最終章第12章「スハルトを知らない子供たち」では、現在インドネシアの現代美術を支える若手美術家たちの活動から、コレクティヴの特徴だとされるコラボレーション、DIY、相互扶助の精神と、インドネシアの文化的慣習から、個人主義の限界に達した欧米や日本の美術界が、協働の可能性に注目して「コレクティヴ」をもてはやす態度とはまったく異なる、インドネシアの新たな美術実践が行われていることを論じた。協働し、経験や知識を共有しながら共生していくコレクティヴの姿勢は、美術界に限らず、今の世の中で誰に対しても示唆を与えるものなのではないかと結んだ。

 書き上げてから、多くの反省点が浮かんでいる。インドネシアという広大な国家についての概要となる第2章「インドネシア共和国、75歳」では、私自身が知るバリ島やジャワ島以外に暮らす人々の民族性などを記すことができなかった。また、美術領域で起こった事象に集中したために、その背景としてより深い調査・考察が必要な政治的問題、宗教的問題への言及も足りていない。こうした点は、今後の課題として、終わることのない、否、ますます拡張するスニ・コンテンポレルの動態をしっかりと追っていきたい。