イスラームやジェンダーはインドネシア女性の政界進出の妨げなのか―ステレオタイプへの挑戦の書
Kurniawati Hastuti Dewi, Indonesian Women and Local Politics: Islam, Gender and Networks in Post-Suharto Indonesia (NUS Press, 2015), xxi + 246 pages, $38.00 SGD
評者:足立真理(京都大学東南アジア地域研究研究所・研究員)
著者はジョグジャカルタで育ったジャワ人女性であり、アンダーソンを筆頭とするこれまでのインドネシア政治研究が「ジャワの男性権力者」にのみ着目してきたことに挑戦すべく、女性の観点から、インドネシアがイスラーム化、民主化していく社会的文脈とその政治的影響を明らかにするために本書を書いた。インドネシアでは地方政府に関する2004年第32法に基づき、2005年から地方首長が直接選挙により選出されるようになった。著者は、2005年以降に選出された3人の女性政治家の選挙活動を分析し、これらの女性の政治参画機会を増加させた構造的変化について論じている(Dewi 2015: 8)。
最初に本書の構成を説明しておこう。本書は著者の博士論文を基にしており、序・結を含む7章で構成されている。第2章はインドネシアにおいてイスラーム化と民主化が女性の政治的役割の拡大に与えた影響、第3章はイスラーム的視点から見たジャワ人ムスリム女性への規範的期待とリーダーシップについて論じている。第4章から第6章はケーススタディとして、著者が2009-2010年の間に実施した聞き取り調査を基に、3人の女性政治家を取り上げている。中ジャワ州クブメン県知事(2000₋2010年)のルストリニンシ(Rustriningsih)、プカロンガン県知事(2006₋2011年)のシティ・コマリヤ(Siti Qomariyah)、東ジャワ州バニュワンギ県知事(2005₋2010年)のラトナ・アニ・レスタリ(Ratna Ani Lestari)である。
本書において著者は、これまで女性の政界進出の妨げと考えられてきたイスラームとジェンダーに関するステレオタイプな否定的意見に挑戦し、むしろ地方首長選挙が直接選挙制になってからはイスラームやジェンダーといった特性が女性の政界進出に有効に働いていると主張している。本書の中心的議論は、インドネシアの女性政治家がムスリマ(女性のイスラーム教徒)としての宗教的敬虔さやジェンダーをどのように使い、それがどのような効果を発揮して選挙戦での勝利に結びついたのかという点に集約できる。例えばクブメン県知事のルストリニンシは選挙活動において家族の絆を強調し、特に選挙戦略の政治的ブランディングに宗教的敬虔さを利用した(Dewi 2015: 78-82)。ヒジャブをかぶり、ハッジ(大巡礼)を行い、良き妻であり母であるというイメージを選挙キャンペーンで使ったのである。彼女の生まれた家庭はいわゆるアバンガンであったが、選挙戦のネットワークと支持者たちはサントリがメインとなった。他の2事例の女性県知事についても、宗教的敬虔さや宗教的価値、モラルを強調することが選挙戦において有効であったと議論され、バニュワンギ県の事例では、県知事ラトナ・アニ・レスタリがムスリマからバリ人政治家との結婚によりヒンドゥー教徒となり、その後再改宗してムスリマとなったことが挙げられている。
著者は、選挙における立候補の過程や選挙戦でのキャンペーン、彼女たちの語りなど様々な資料を用いて、インドネシア女性の政界進出には、従来の研究で重視されていた資産や家柄といった側面だけではなく、イスラーム、ジェンダー、ネットワーク、彼女たち自身の素質といった要素が絡み合っていると論じている。上記の3人の女性政治家の事例はいずれも、選挙区で唯一の女性候補者である、特に既婚で母親であるという点で、信頼出来て、気遣い上手で、正直であるという一般的なステレオタイプを喚起し、これをうまく利用したといえよう。ほかにも、この3人に共通する点として、修士号ないし博士号取得といった高い教育を受け、父親か夫の社会的・政治的・宗教的ネットワークを駆使できる環境にあり、国内最大のイスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマー(NU)のキヤイ(宗教的指導者)との関係を強調し、支援を受けていたことが指摘できる。これらの点に注目することで、本書は読者に民主化期インドネシアにおける女性の政界進出に関して、さらなる理解を促してくれる。
ここで、評者が読んでいて少し気になった点について2つ言及したい。まず著者も指摘している通り、「敬虔さ」というイメージは「クリーンさ」と強く結びついている(Dewi 2015: 81)。ハッジを美徳の表れとして使うように、五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)の他の実践は、敬虔なイスラーム教徒の証として選挙戦略で使われなかったのだろうか。本書に五行の他の実践に関する言及がなかった点が少し気になった。インドネシア政治学者のペピンスキー(Pepinsky et.al. 2018)は、五行の実践の有無など具体的項目を指標化した「敬虔さ指標」(Piety Index)を作り、個人の信仰心や敬虔さと政治、経済的選択の関係について分析しているが、本書でも明確な定義のない「敬虔さ」に具体性があればより説得的になると感じた。
次に、分析対象である3人の女性について、彼女らは全員中流階級以上の出身であるため、彼女らからの聞き取りが重要な情報源である本書は、結果的にエリートの意見を集めただけのように見えてしまっている。著者は本書の冒頭で、自身が一般のジャワ人女性であることを強調しており、そうであるならば、エリート層の女性政治家だけでなく、より幅広い社会階層からなる選挙民も合わせて分析することが必要であろう。また、本書は女性の地方政治家の台頭に着目し、それを可能にした構造的機会の増加を論じているものの、「Coblos kerudunge!(ヒジャブをかぶった人に投票を!)」や「Wadon milih wadon(女性は女性を選ぼう)」のようなキャンペーンが有効なのは、やはり男性優位の社会構造が続いているからではないかと思う。本書の議論は質的調査を中心とするため量的データに欠けている。たとえば、これまでに出された本書の書評では、2009年以降の地方首長直接選挙490件のうち、当選した女性候補者はわずか9人であることが指摘されている(Ani Soetjipto 2017: 105; Satriyo 2010: 243)。とはいえ,これらの指摘は評者のないものねだりであり、丹念なフィールドワークを経て編み出された本書の魅力を損なうものではない。
本書の扱う対象が、イスラーム、ジェンダー、政治、ネットワークとかなり広範であることから、読む人によってはわからない点もあるかもしれないが、それだけ本書が様々な視角から地方首長直接選挙における女性政治家の進出という事例を論じた良書であるともいえる。インドネシアのイスラームについて研究する私としては、ファン・ブライネッセンが保守転回(conservative turn)と指摘したような、インドネシアのいわゆる公共圏におけるイスラーム化(van Bruinessen 2013: 3)と、本書の主題である地方政治におけるムスリマの台頭がどのように関連するか(しないのか)について、今後著者が論じてくれる日を心待ちにしている。
この本は、インドネシアの政治を学ぶ学生や研究者、特に副題にあるようにイスラームやジェンダー、ネットワークに興味がある人に有益だろう。今後、著者の研究が嚆矢となり、女性のリーダーシップやジェンダーの視点を取り入れた政治研究が増えていくことを期待してやまない。
[参考文献]
Ani Soetjipto. (2017). Indonesian Women and Local Politics: Islam, Gender and Networks in Post-Suharto Indonesia [Review of the book Indonesian Women and Local Politics: Islam, Gender and Networks in Post-Suharto Indonesia,by K. H. Dewi]. Bulletin of Indonesian Economic Studies, 53(1), 103-105.
Pepinsky, T. B., Liddle, R. W., & Saiful Mujani. (2018). Piety and Public Opinion: Understanding Indonesian Islam. Oxford University Press.
Satriyo, H. A. (2010). Pushing the Boundaries: Women in Direct Local Elections and Local Government. In E. Aspinall & M. Mietzner (Eds.), Problems of Democratisation in Indonesia: Elections, Institutions and Society (pp. 243–263). Institute of Southeast Asian Studies.
van Bruinessen, M. (Ed.). (2013). Contemporary Developments in Indonesian Islam: Explaining the “Conservative Turn.” Institute of Southeast Asian Studies.