クルアーン読誦学習テキスト『イクロ』の成り立ちと普及から見るインドネシアのイスラーム基礎学習の展開

中田有紀『インドネシアのイスラーム基礎学習の組織的展開 学習テキストの創案と普及』(東信堂、2022年)、226頁、3300円(税別)

中田有紀(東洋大学アジア文化研究所客員研究員/立教大学兼任講師)

 本書は、インドネシアにおいて、国民教育体系には位置付けられてこなかったイスラーム基礎学習(プンガジアン・クルアーン)が、1980年代後半から1990年代にかけて民間のイニシアティブによって組織化され、クルアーン幼稚園などのクルアーン学習施設が全国に普及していく経緯とそれに伴う学習の変容を明らかにしたものです。

 プンガジアン・クルアーンとは、主に7歳前後の子どもたちを対象とした基礎的なイスラーム学習のことです。学校から帰宅した小学生たちが、夕方、地域のモスクに集まり、クルアーンの読誦方法や礼拝の仕方、クルアーンの章句の暗誦などの学習に参加する光景はインドネシアの各地で見られます。

 これまでのインドネシアのイスラーム教育研究においては、マドラサやプサントレンなどイスラームに関する基礎学習を終えた者を対象とする教授・学習に焦点を当てた研究が主流であり、イスラーム基礎学習に相当するプンガジアン・クルアーンの現代における実態やその意義については十分に検討されてきませんでした。

 1980年代後半以降、『イクロ(Iqro’/Iqra’)』というクルアーン読誦学習のためのテキストが創案されると、イスラーム組織が主体となって学習内容の評価や修了要件などを明確にし、幼稚園児や小学生が学びやすいカリキュラムを整えるようになりました。かつては集落で個別に行われ、個々の教師に学習指導が任されてきたプンガジアン・クルアーンは、標準モデルが整えられ組織的に運営されるように変化してきました。本書では、こうしたプンガジアン・クルアーンの内容や取り組み方の変化について、『イクロ』という学習テキストの創案と普及に着目して論じました。

 『イクロ』は、ジョグジャカルタのひとりのクルアーン教師が創案したものです。アラビア文字と発音記号の名称を覚える学習を省略し、発音記号がすでに付与されたアラビア文字を声に出して読む学習から開始します。従来は、クルアーンを読誦するレベルに達するには何年もかかるのが一般的だったそうです。しかし、『イクロ』が普及することで、クルアーンの読誦学習は短期間で学ぶことができ、小学生だけでなく、就学前の子どもたちも容易に取り組むことができるようになりました。『イクロ』は、1冊約30ページの全6巻構成であり、最初の第1巻は母音記号が付されたアラビア文字を一つずつ読む練習から開始します。第6巻を終える頃には、クルアーンの章句を読誦できるレベルに到達できる構成となっています。

 『イクロ』以外にも、同様のクルアーン学習テキストは存在しましたが、『イクロ』創案者は、子どもたちへの実際の指導を通して改良を重ねて、『イクロ』を完成させました。学習者である子どもたちが主体的に学べるよう、教師は生徒の自主的な学びをサポートする存在と位置付けたことは、『イクロ』を用いる学習指導の特徴です。

 本書では、『イクロ』の創案と普及に直接関わった人物や団体の取り組みに焦点を当て、ジョグジャカルタで『イクロ』が創案され、後に全国に普及するクルアーン幼稚園などのクルアーン学習施設のモデルがつくられた背景について明らかにしています。全国規模でクルアーン学習施設の普及を展開していく際、1977年にバンドンで結成されたイスラーム組織のBKPRMI(インドネシア・モスク青年交流会)のネットワークが重要な役割を担いました。ジョグジャカルタおよびバンドンの事例から、こうした展開には、大学生をはじめとする都市部の若者らが多く関わったことを示しました。若者たちの活動は、規制を受けるなど、困難を伴うことが多い時期もありました。しかし、彼らの働きかけは、1980年代後半、政府関係者らが『イクロ』を用いるクルアーン学習施設に関心を示すことに繋がりました。このような展開は、『イクロ』がジョグジャカルタだけでなく、全国に知られ、普及していくうえで重要な意味を持ったと言えます。

 1990年代以降のインドネシアでは、さまざまな分野において、イスラームのプレゼンスが高まっています。『イクロ』の普及やクルアーン学習施設の組織化を、社会全体におけるイスラームの活性化の一形態としてとらえることもできるでしょう。本書では、『イクロ』やクルアーン学習施設が全国に普及していく現象がどのような経緯で展開されたのか、当時の社会・政治的背景との関係も示しつつ、描いています。

 全国に普及した『イクロ』は、特定のクルアーン学習施設で活用されるのではなく、誰もが手に取ることができる安価なテキストとして、書店や市場などでも販売されてきました。また、『イクロ』を用いるクルアーン学習施設の標準的な教育カリキュラムや運営方法は、研修活動などを通してさまざまな人々に知られるようになりました。2000年以降、『イクロ』やBKPRMIによるクルアーン学習施設の標準カリキュラムに頼るのではなく、それらの内容や方法を応用し、自発的に新たに学習テキストを創案し、そのテキストを自らが運営する教育施設で活用する人物や団体も現れるようになりました。このように、『イクロ』の創案やクルアーン学習施設の標準モデルの構築により、多くのインドネシア人ムスリムが次世代の育成において、従来とは異なる方法でプンガジアン・クルアーンを行うことを試みるようになりました。これは、政府がクルアーン学習施設をノンフォーマルな教育のひとつとして容認することに繋がりました。ムスリムの子どもたちにとって、学校以外のもう一つの学びの場が組織的に営まれるようになった経緯を明らかにした本書は、インドネシアのムスリムの教育の内実を理解するうえで重要な知見を提示しているといえます。

 本書では、クルアーン学習施設での組織的な学びによって、管理された学習時間になじめない生徒への対応は十分なのか、教師や各生徒の個性を尊重した柔軟な学習指導の余地は残されているのかどうか、といった部分の考察までは十分に行っていません。しかし近年では、フォーマルな学校教育とともにノンフォーマルな教育の場においても、政府による管理や評価がなされる傾向にあります。政府の関与が強まるなかで、モスクを拠点に発展してきたクルアーン学習施設の教授・学習にどのような課題が生じているのかについては、今後の研究課題のひとつと考えています。