日系工業団地がカラワン地域にもたらした社会経済的変化を徹底した現地調査をもとに描き、現代のインドネシア都市社会における「デサコタ/混住化」について考察した一冊

 

内藤耕 編『工業団地がやってきた  西ジャワの都市化と地域社会』風響社、2023年、288頁、4000円 (税別)

評者: 久納源太 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・博士後期課程院生)

 本書は、首都圏の東端にあるカラワン県を対象にした、日本企業による大規模工業団地の建設がもたらした地域社会の変化、すなわち「デサコタ/混住化」に関する論文集である。

 インドネシアにおける大都市圏の形成は、農村(デサ)と都市(コタ)の生活・経済形態が混在する周縁のデサコタ地域に支えられてきた。20世紀後半以降の海外直接投資に触発された郊外化の波は、カラワン県のような地域に大々的な都市的経済従事者の流入と農地転換をもたらした。デサコタ論は、インドネシア都市研究ではいわゆる古典的な見方となっているが、特定の周縁都市に焦点を当て、ここ十数年間のデサコタ化を語るものは意外と多くない。

 本書は全七章に、まえがき、プロローグ、序章、6つのコラム、終章、エピローグ、あとがき、が加わる構成となっている。本書の核は、村落的集落とゲーテッド・コミュニティ(屏で囲まれて隔絶した住宅地)が混在する、とある村にて実施された悉皆調査である。その調査結果を、オーラルヒストリー、人類学、社会学にまたがる多分野の研究者が各章にて議論している。

 第一章「穀倉地帯から工業団地へ」(倉沢愛子)では、水田の減少とそれに伴う生業変化を中心に、カラワン地域の変容の過程を植民地時代まで遡り整理している。
 第二章「都市化のさらなる進展と持続する農村的特徴」(小池誠)では、旧住民(旧村落民)の教育水準が向上し、生業が多様化した一方で、農村的な社会関係の形態が継続していることを論じている。
 第三章「流入してきた新住」(伊藤眞)では、分譲住宅地に住む新住民の生活水準や社会関係を前章で分析された旧住民の特徴と比較し、両者の差異を考察している。
 第四章「非正規雇用労働者への視点」(大井慈郎)では、従来の親族・同郷者間のつながりよりも、労働者同士の人的つながりが雇用機会を得る上でより重要な役割を持っていることが取り上げられている。
 第五章「都市化と沿道商人の流入」(内藤耕)では、小規模店舗が大規模商業施設の登場によって淘汰されるのではなく、むしろ地元民・外来者に支えられ活発化していることを検討している。
 第六章「カラワンにおける森林と集落」(伊藤眞)では、カラワンにおける土地・森林紛争に焦点をあて、工業化が森林やそこに暮らす人々を周縁化させ不可視化させていることを論じている。
 第七章「SDTVモデルの検証」(新美達也)では、ベトナム村落研究の桜井由躬雄が提唱したSDTVモデル—親世代の農業就業と子世代の工場労働による可処分所得の獲得—のカラワンにおける適用可能性を検討している。

 合わせて、カラワン地域の実相を生き生きと描くことを目的とした、以下のコラムが掲載されている。「不動産開発ブームで激変したカラワン」(新井健一郎)、「村の変貌を見守ったオマ村長一族」(倉沢愛子)、「変化を生き抜いた家族の歩み」(小池誠)、「カンプンと住宅団地を繋ぐ糸」(倉沢愛子)、「工場への就職から大学卒への夢」(大井慈郎)、「小洒落た喫茶店とアントレプルヌールシップ」(内藤耕)。

 本書の最大の強みは、私が思うに、デサコタ論に関わる原理的な発見に限らず、ジャカルタ首都圏をフィールドとする数多の研究者にとって有用な資料となり得る情報に富んでいることだ。

 例えば、第二章の小池論文は、2007年と2016年のデータを比較することで、過去9年間の都市化と混住による地域の変化を具体的に捉えようとする試みである。小池は同データから、旧村落地区における都市的経済従事者が増加した一方で、家族構成や通婚圏に関してはデサ的な特徴が強い状況が継続しているという、今日のデサコタ地域の特徴を提示している。

 また、生活空間の細部の特徴に関する記録も豊富だ。第三章・伊藤論文では、冷蔵庫、洗濯機、テレビやバイクの所有率は、新住民が住む住宅団地と旧村落との間に大した隔たりがない一方で、自転車、パソコン、エアコンの所有率においては新住民の所有率が高いことが指摘されている。この発見自体魅力的だが、その細かな解釈も興味深い。例えば、新住民は自転車を子供の遊具として、バイクを通勤手段として購入する傾向があるのに対して、旧村落の住民は日常的な移動手段として自転車の代わりにバイクを利用するようになった。そのため、旧住民と新住民の間で自転車の所有率に格差が生じたと伊藤は解説している。

 詳細な分析といえば、第五章・内藤論文の主要な焦点である商業用建造物の空間的配置に関する記述も興味深い。街路景観の計量化を通じて商業の階層化と多様化の分析を試みた内藤の手法は、大型モールや工業団地の出現が地域の商業環境に与える影響を鮮明に捉え、ジェントリフィケーション論を批判的に考察することにも成功している。

 カンプン、分譲住宅地、工業団地のセットが形成されている地域は、ジャカルタ首都特別州内各地、また、首都圏の西端にも多く見られることは周知の通りであろう。工場が各地から労働者を呼び込み、ゲーテッド・コミュニティが都心部の中間層を新天地に誘い込む一方で、旧住民は土地を失いながらも、地域のどこかにしがみついている。こうした社会経済的に多様なあるいは不平等な地域空間が形成される過程において、新住民と旧住民の間で分断や価値観の衝突の生じることが想定されてきた。

 しかし、生活環境の変化を詳細に調べてみれば、内藤(第五章)が本書で述べているように、階層分断とは別のベクトルを持つ現実に遭遇することがある。あるいは、活発化する地域商業から見られるように、カンプン、分譲住宅地、工業団地の間で日常的な相互依存が確固たるものとなっている。一方で、就業機会、土地紛争、または、村落政治をめぐる人々の葛藤を観察してみれば、倉沢(第一章・コラム2)や伊藤(第六章)が示したように排除や対立関係がある。つまり、ここ数十年で、あらゆる側面において旧・新住民間の経済的距離が縮まっていている一方で、村長選挙や分譲住宅地のゲートが体現するように、実生活において超えられない区分、超えてはいけない障壁が張り巡らせられている状況がある。

 こうした今日のインドネシア都市社会の実像を徹底的な調査をもとに描いていたのが本書であり、様々な分野の人におすすめしたい一冊である。