インドネシア・イスラームの世界的権威である中村光男千葉大学名誉教授が、過去半世紀(1971年~2023年)にわたって、インドネシア語、日本語、英語で執筆した論文、講義、インタビューなど61編を収録した作品集を、インドネシアのオボール出版財団から上梓した。インドネシア・イスラームの独自性、多様性、思想的意義を世界に伝えてきた中村の知的探求が記録された一冊。

Mitsuo Nakamura, Mengamati Islam di Indonesia 1971-2023 : Kajian Antropologi Budaya(Yayasan Pustaka Obor Indonesia, 2025), xxviii + 718 pages, Rp.195,000

評者:小川忠(跡見学園女子大学 教授)

 現代インドネシアの代表的なイスラーム知識人アーマッド・スアエディ(Ahmad Suaedy)は本書刊行に寄せて、齢80を越えてもジョクジャカルタでのフィールド調査にこだわり続ける中村を、インドネシアのイスラーム研究において比類のない「史上最高の教授(Profesor GOAT)」と称賛している。

 本書を読むインドネシアの読者は、日本語や英語で書かれた彼の論稿のインドネシア語訳に初めて触れることで、あらためてインドネシア・イスラームのダイナミズムや多様性を世界に紹介した中村の貢献の大きさを実感するに違いない。

 発表の時系列に並べられた論稿をたどりながら、その功績を以下の四点挙げたい。

 第一に、世俗ナショナリズムを主柱とするスハルト強権体制の1970年代にあって、いちはやくイスラーム台頭の芽を察知するとともに、イスラームが近代化の担い手となっていると指摘したことである。

 中村とインドネシア・イスラームの出会いは、1971年ジョクジャカルタ郊外の町コタグデでのフィールド調査だった(第1章)。「近代化に伴い宗教は衰退する」「イスラームは近代化の障害」とする欧米の近代化論に対し、近代化が進行するインドネシア社会において宗教衰退は起きておらず、むしろイスラームが近代化や市民社会の担い手となっている、と中村は主張した。その主張の根拠となったのが、コタグデにおけるムハマディヤ運動の調査だ。この町のムハマディヤの人々は、信仰に基づいて質素、倹約、正直、合理性、子女教育重視を生活において実践していた。そして宗教的義務として相互扶助、貧者救済に熱心で、学校、病院、孤児院、養老院を建設した。インドネシアの公共空間を拡げ市民社会をけん引しているのがイスラームであることを中村は発見したのである(第1、2章)。

 第二の功績は、欧米の学会を中心に展開していた従来のインドネシア研究に一石を投じ、世界のインドネシア研究の活性化に貢献したことである。戦後の世界においてインドネシア研究の中心となったのは米国である。米国のインドネシア研究のなかでもシカゴ大学、プリンストン大学教で教鞭をとった文化人類学者クリフォード・ギアツの『ジャワの宗教』は広く世界中で読まれていた。このなかでギアツはジャワ人の文化的多様性を、宗教意識に基づきアバンガン(アニミズム)、プリヤイ(ヒンドゥー・仏教)、サントリ(イスラーム)の3つの類型で示し大きな影響力をもった。これに対して中村は、インドネシア側からのギアツ批判に与しつつ、コタグデの実証的調査研究に基づいてアバンガンやプリヤイの宗教儀礼にイスラームに由来するものが含まれていることを指摘し、ギアツのインドネシア・イスラーム理解が不十分であることを衝いた(第9、16章)。80年代から90年代にかけて、中村は非イスラーム圏のイスラーム像がイランのイスラーム革命などの報道に引きずられがちであると論じつつ(第5章)、インドネシアをはじめとする東南アジアのイスラームは、中東と違う独自性をもつとともに、その内部において多様な宗教意識と信仰形態をもつことを説明している(第23章)。

 第三に、ムハマディヤ系知識人との交流に加え、ムハマディヤと並ぶイスラーム組織ナフダトゥル・ウラマー(NU)に集うイスラーム知識人との人脈を開拓し、日本とインドネシア・イスラーム知識人との多角的な対話チャンネルを構築したことである。中村によれば、日本政府は1990年代初めごろまで政教分離原則から「政府は宗教に関与できない」という方針のもと、イスラーム知識人との接触をさけてきた。イスラーム勢力を警戒するスハルト政権への忖度もそこにはあったであろう。そのような状況下にあって、中村は各種助成を活用して、インドネシアのイスラーム・オピニオン・リーダーを日本に招聘してきた。そのなかにはインドネシア民主改革の一翼を担ったヌルホリス・マジッド(パラマディナ大学創設者)、政権崩壊後に第四代大統領に就任するアブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル)、イスラームと社会変革などの分野で研究・啓発活動を展開するシンクタンクLP3ES研究者などが含まれていた(第59章)。彼らの思想と行動の中に存在する「NU=保守的イスラーム」という従来の見方では収まりきらない革新性、多様性を、中村による地道な知識人交流は日本社会に知らしめたのである(第34、39、41章)。

 第四に、今世紀に入ってイスラーム内部に存在する暴力的過激主義によって、イスラーム嫌悪感情が世界中に拡散した。これに抗する論陣を張ってきたことである。2010年代、グローバルなテロリズムの頻発という国際情勢の中で、宗教的多元主義、宗教・宗派間の寛容と相互理解、テロリズム・武力闘争の拒否という点から、NUやムハマディヤが「もうひとつのイスラーム」の姿を示し、イスラーム世界の範となってほしい、という期待を中村は語っている(第55章)。

 行動も起こした。2016年に国際交流基金が開始した事業「東南アジア・ムスリム青年との対話(Talk with Muslims)」に、監修者として関わった。彼がこの事業に関与する動機となったのは、当時世界に衝撃を与えたISIS(「イスラーム国」)の残虐行為によって日本社会に拡がったイスラームに関する否定的イメージ、イスラーム嫌悪感情に対抗することだった(58章)。

 以上、本書から半世紀を超える中村の思索と行動の軌跡をたどり、彼がインドネシア・イスラーム理解の深化に果たした貢献の大きさを再確認した。2017年、インドネシア政府は感謝をこめて、中村に文化功労賞(日本の文化勲章にあたる)を授与している。

 本書は、20世紀後半から今世紀にかけてムハマディヤやNUを通してジャワのイスラーム変容を記録した貴重な証言として、これから読み継がれていくことになるだろう。