知られざるインドネシア、百花繚乱のデスメタルを徹底解剖−−アンダーグラウンド音楽シーンにおけるメタルヘッズたちの実践、笑い、そして死(DEATH)

小笠原和生著『デスメタルインドネシア−−世界2位のブルータルデスメタル大国』(世界過激音楽 vol 2)パブリブ、2016年、352頁、2,484円(税込)

評者:金 悠進
(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・博士後期課程院生)

日本にはインドネシアについて研究するいろいろな専門家がいる。それらの専門家を見回しても、インドネシアがブルータルデスメタル大国だと知る人をみつけるのは困難だろう。そこに日本初、いや世界初の「インドネシア・デスメタル」決定版が出版された。著者は小笠原和生、「アジアのロック探検家:欧米のメインストリームに流され埋もれてしまったアジア圏のバンド(アジアの埋蔵ロック/メタル文化財)を発掘調査するまねごとをしていたら帰ってこれなくなった人」を自称する。通信販売店Asian Rock Risingの運営者でもある。

本書を読んでまず、インドネシア全土に1357ものメタルバンドが存在するという事実に驚く。そのなかでもデスメタル、特にブルータルデスメタルというジャンルが多く、なんとインドネシアは「世界第2位のブルータルデスメタル大国」だという。ブルータルデスメタルとはデスメタルのサブジャンルであり、簡単に言えばデスメタルをより「過激」にしたものである。(ここでは「デスメタル」に表記を統一させてもらう)

私はインドネシアのポピュラー音楽を研究している。そのため、同国のデスメタル事情については、現地での調査や文献を通じて少しだけ知っていた。しかし、著者のインドネシア・デスメタルに関する卓抜した専門性には、脱帽である。

これまで『経済大国インドネシア』『民族大国インドネシア』などといった本が出版されてきたが、今回は「デスメタル大国インドネシア」である。デスメタル一本で351ページのまさに「大著」である。

本書の最大の強みは、何といってもその圧倒的な情報量である。およそ200バンドの活動経歴や基本情報に加えて、アルバム・レビューが掲載されている。ただし、これは単なるガイドブックではない。広い意味でのフィールドワークに基づき、デスメタルバンドとのインタビュー内容や、インドネシア・デスメタルに関する興味深いコラムが盛りだくさんとなっており、写真も多く、読んでいて飽きが来ない。デスメタルを聴かない私でも十分に楽しめる。

本書は学術書には出せない「抑揚」がある。例えば「悲しみ」のトーンがある。デスメタルの歌詞は「死(DEATH)」を連想させるものが多いが、それは詞世界に限定された話ではない。デスメタルのレーベル創設者の死、デスメタル・ライブでの少年11人の死、バンドメンバーの相次ぐ死、表紙に「死者数多数」と描かれているように、実際に若くして命を失うメタルヘッズたちが後を絶たないのである。一方で、「両親がいくらかスタジオ代を貸してくれた」、「メンバーは保険会社に勤めている」といった強面のデスメタルの人々のリアルな日常生活も伝わってきて、そこもまた面白い。と思いきや、政治の話になると急にシリアスなトーンになり「ノーコメントだ」と言う人がいる。反対に、笑いながら冗談交じりに話す人もいる。私はこの抑揚のバランスに、読者を飽きさせない編集者の工夫とセンスを感じ取った。

私が知る限り、インドネシア・デスメタルに関する情報が、これほどまで大量に、しかも面白く詰め込まれた本は、世界にも存在しない。関連する書籍としては、他にEmma BaulchのReggae, Punk, and Death Metal in 1990s Bali(Durham: Duke University Press, 2007)やKimungによるUjungberung Rebels: Panceg Dina Galur(Bandung: Minor Books, 2012)などがある。しかし、これらはバリやバンドンといった特定の地域のデスメタルに関する情報に限定されている。

『デスメタルインドネシア』は違う。これが本書最大の魅力だと思うのだが、メタルバンドが地域別に紹介されているのである。しかもジャカルタ、バンドン、ジョグジャカルタといったジャワの主要都市だけでなく、メダンやバリなどジャワ島外の大小様々なメタルバンドを紹介している。本書で扱いきれなかった無数のバンド、そしてインドネシアの国土と人口規模を想像すると、デスメタル・シーンの底知れなさに圧倒される。

インドネシアにおいてデスメタルは1990年代初頭に開花し、現在では大規模なメタル・フェスティバルが毎年各地で開催されているという。人口大国・若者大国インドネシアがこの巨大なデスメタル市場を支えているのは言うまでもない。インドネシア・デスメタルは今、本場欧米でも高く評価されているという。

本書の楽しみ方は人それぞれであろう。バンド名を検索してYouTubeで視聴してみる。あるいはバンドの紹介文やインタビュー記事・コラムを眺めてみてインドネシア・デスメタルの発展史やシーンの特徴などを考えてみるのもよい。例えば、インドネシアのデスメタルはどのような音楽に影響を受けたのか。なぜインドネシアでデスメタルが盛んなのか。宗教的・民族的なアイデンティティがデスメタルにどう影響しているのか。イスラームとデスメタルはどう関係するのか。デスメタルのミュージシャンは「メタル好き」のジョコ・ウィドド大統領のことをどう思っているか。本書を通して、インドネシアの政治・社会の一端を知ることも可能かもしれない。少なくともインドネシア現代文化研究者には必読本であろう。

文化研究では「インドネシアの音楽は外来文化と土着文化を融合したハイブリッドな文化である」という異種混淆説が支配的である。しかし、本書を読めばわかるように、ガムランなどの伝統音楽をデスメタルと組み合わせた音楽家がいる一方で、「宗教や民族などは自分たちの表現には関係ない」、「伝統的な民族音楽のバックグラウンドはない」と断言するデスメタルの人々もいる。その声(音)を、我々文化研究者は聞(聴)き逃してはならない。

もちろん「インドネシア=デスメタル」ではない。しかし、本書が日本で出版されることで、インドネシアにそもそもメタルが存在することすら知らない日本人、なかでも日本人研究者に大きなインパクトを与えることは間違いない。インドネシアのデスメタルは決して「辺境」ではないのである。

研究者の端くれとしては、本書を完成させることがいかに骨の折れる作業かがわかるだけに、著者と編著者の方の苦労と尽力に頭が下がる。

だからこそ一つだけ苦言を呈したい。価格が安すぎる!