カンポンの歴史と現在を逍遙し、未来都市の夢を見る—アジア都市の重層的実態を明らかにする碩学の旅の成果

布野修司『スラバヤ 東南アジア都市の起源・形成・変容・転成—コスモスとしてのカンポン』(京都大学学術出版会、2021年)、583頁、5,100円(税別)

評者:岸健太(秋田公立美術大学大学院 複合芸術研究科アーバンスタディーズ領域)

 地域指向のプロジェクトに取り組む研究者やアーティストの多くと同じように、私も大小の偶然の連鎖により自分のフィールドと出会っている。いつもとは異なる時刻の電車の窓外に新しい気づきを見つけ、それが次に手に取るべき資料を示唆し、その情報の中に訪ねるべき人や場所を読み、やがておこなうべき事が少しずつ形と色彩を持ち始めると、それに相応しい現場のイメージが立ち上がり始めるような、ありふれた、しかし唯一無二の偶然の連鎖によってである。そのようにして、偶然の複雑な回路を旅した果てに、私はスラバヤのカンポン(都市村落)をフィールドとする機会を得ているのだが、そこにはもう一つの幸せな偶然が待っていた。

 これからの都市コミュニティの可能性をアジアの都市村落にみられる空間と人との自律的な応答関係のメカニズムに着目して探ろうとしていた私は、2009年のラマダンの時期に初めて視察に訪ねたスラバヤの地で、現地の若い建築家を通して本書の著者である布野修司氏の存在と活動を知った。社会介入型のアートプロジェクトの実践を通してカンポンの調査をおこなうという私の無鉄砲な企画を案じ、その若い建築家は、まずは「介入」に先立ちスラバヤのカンポンについて布野氏の著作から謙虚に学ぶべしと、強い助言を寄せてくれた。帰国後すぐに、私は『カンポンの世界—ジャワの庶民住居史』(PARCO出版、1991年)を手に入れた。これは、カンポンという「居住コミュニティの生活宇宙」を都市史、都市計画、建築計画そして人類学といった異なる領域の横断の中から鮮やかに描いた都市論の白眉であり、また本書『スラバヤ』の基礎となるものである。

 『カンポンの世界』の冒頭で、布野氏はカンポンを研究する理由を「要するに面白いから」であるという。そのとおりである。カンポンにしばらく身を置くと、そこにある多数多様の空間、人、もの、出来事の相互関与のポリフォニーが心身を心地よく揺さぶるのが知覚されてくる。しかし、この「面白い」は、アジア的混沌に対するエキゾチシズムやノスタルジアの感覚などの感傷的なフレーミングの圧に常に晒されるものでもある。本書『スラバヤ』は、カンポンの人間居住のありかたをこれからの人間社会が参照するべき未来指向の情報として位置づけた上で、ジャワとスラバヤの起源から現代まで膨大な情報量を持つ地域史・都市史を詳細に辿り直し、また同時に、現代においてもカンポンが成立するメカニズムをジャワの村落共同体、住居、宗教、経済、政治についての分析の交差を通して具体的に描き出すことを通して、アジア的混沌への無批判の美化や礼賛を無効化している。

 『カンポンの世界』は私にとり、スラバヤでの活動のための重要な参考書でありつづけているが、本書『スラバヤ』は、都市と人間居住の将来に関心を向けた活動に取り組むあらゆる人が備えるべき辞書であると私は考える。本書に描かれた「あるひとつの都市」のコスモスを関心の赴くままに逍遙し、異なる時空間の膨大な情報を接続しながら、私たちは未来都市のヴィジョンを探る旅をするのだ。

 本書の構成は、意図して「重層的」なものとして設計されている。書物というリニアな情報空間の中で、「時間・空間・居住」という3つの異なる層に「起源・形成・変容・転成」という過程が重なる「あるひとつの都市」についての情報の重層性を表現するための情報デザインの試みなのである。スラバヤの歴史と現在を立体化させるべく「空間」と「時間」の各4章を交互に並べ、そこに12の「Cascade(スラバヤの経験と他の都市の経験を縦横に結びつける長めの註、コラム)」が差し込まれる全体構成によって、読み手は本書を連続したシナリオを持つ「あるひとつの都市」の歴史書として、そしてあらゆる都市のリファレンスとなりうる多様な情報を包含した事典やカタログとして、二重に経験することになる。 

 本書によって、私たちは都市とそこに生きる人々の日常の偶然を支える必然の数々を知ることになるが、同時に、自らと自らが生きる(活動する、暮らす)フィールドとの偶然の遭遇が内在していた必然の存在についても、きっと気づくだろう。