イスラーム世界の多様性を東南アジア地域の事例から読み解く−イスラーム研究、及び東南アジア地域研究における必読書
久志本裕子・野中葉編著『東南アジアのイスラームを知るため64章』明石書店、2023年、387頁、2000円(税別)
評者:土佐林慶太(早稲田大学文学学術院中東・イスラーム研究コース助手)
本書は、東南アジアのイスラームについて、その歴史、国家、政治、社会、教育、人物、日常生活など、多種多様な視点から検討するものである。全8部、64章と6つのコラムから構成され、扱われている地域は、大陸部のタイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、島嶼部のインドネシア、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、シンガポールの9カ国に及び、対象とする時代も、東南アジアにおけるイスラーム化が始まる13世紀頃から現代までと多岐にわたる。本稿では、各部毎に概略を記した後、インドネシア研究懇話会での新刊紹介という背景から、インドネシアの事例を中心的に扱う章を紹介する。最後に、本書の全体的な意義などについて言及する。
第Ⅰ部「東南アジア・ムスリム社会の多様性とその歴史」(全10章)では、東南アジア・ムスリム社会の概観、同地のイスラーム化の歴史、イスラームをみる視点の多様性などが論じられる。第5章(菅原由美)では、13世紀から17世紀にかけてスマトラ、ジャワ、マカッサルに存在した王国のイスラーム化の過程を概説する。第7章(菅原由美)では、19世紀から20世紀にかけてインドネシア(1942年までは蘭領東インド)で展開された植民地抵抗運動としてのイスラーム運動、及び近代的イスラーム団体の設立とその背景、日本軍政期によるイスラーム指導者の社会的変容が描かれる。
第Ⅱ部「信仰実践と日常生活」(全11章)では、信仰実践について、一般的なイスラームの教義だけではなく、東南アジア地域の多様な事例を含めて検討される。第14章(阿良田麻里子)では、ムスリムの断食を概説した後、著者の西ジャワ州でのラマダーン月の体験を基に、ラマダーン月の生活の様子を具体的に説明する。第15章(足立真理)では、インドネシアにおけるザカート実践や管理団体の変容が描かれる。第17章(野中葉)では、世界的なイスラーム復興運動やインドネシアで展開されたダアワ運動の影響を受け、インドネシアでも1980年代以降にムスリム女性のヴェール着用が増加したこと、2010年代以降、政府援助も相まってムスリム・ファッションが成長したことを述べる。第20章(服部美奈)では、主にスハルト期のインドネシアにおける女性像や家族像の変容を論じる。第21章(野中葉)では、エンターテインメントのコンテンツとしてのイスラームについて、ドラマ、映画、音楽の事例から概観される。
第Ⅲ部「各国のイスラームと諸制度」(全9章)では、国家の枠組みの中のイスラームの位置付けについて、上記9カ国を考察対象に、国ごとに整理される。インドネシアについては、第22章(野中葉)で扱われる。まず、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアの国家体制とイスラームを含む国家公認宗教の関係を述べ、国家による積極的な宗教への関与(管理)を指摘する。その事例として、宗教関連の祝日の多さと身分証明書に存在する宗教項目の記載を挙げる。次に、同地の法体系を検討し、世俗法の中にイスラーム法の規定が盛り込まれた婚姻法を紹介する。最後に、インドネシア・ウラマー評議会(MUI)の歴史的変遷と、団体や説教師が社会問題に対してイスラーム的見解を発信するインドネシア社会の現状を述べる。
第Ⅳ部「イスラームと政治・市民運動」(全10章)では、第Ⅲ部を踏まえて、国家によるイスラームの関与、ムスリムが少数派となる地域で周辺化される人々や、市民運動、武装闘争などの事例が紹介される。第31章(野中葉)では、スハルト体制下で進展したキャンパスダアワ運動の歴史的変遷を検討し、運動に参加した若者たちが民主化後のインドネシア社会におけるイスラームの顕在化に一翼を担ったと指摘する。第33章(見市建)では、「標準化」、「商品化」というキーワードから、ジャカルタ首都特別州知事であったバスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)の「宗教冒涜発言」事件を検討し、そこに潜む社会の分断を論じる。第36章(見市建、ハズマン・バハロム)では、インドネシアとマレーシアにおけるフェミニズム運動(女性解放運動)の歴史的推移を概観し、両国の運動の共通点や相違点を論じる。第38章(茅根由佳)では、インドネシアとマレーシアにおけるムスリム少数派の事例として、シーア派とアフマディーヤを取り上げ、これらに対する排斥運動とその背景を検討し、両国の運動の特徴を説明する。第39章(見市建)では、東南アジアのイスラーム主義武装闘争派の代表格として、ジャマア・イスラミヤ(JI)を取り上げ、その系譜と国際的ネットワークを検討し、イスラーム国(IS)台頭後の展開について概観する。
第Ⅴ部「イスラーム知識の伝達と教育」(全6章)では、東南アジア・ムスリムの多様性を見る鍵として、同地におけるイスラームの知の伝達と方法に着目し、その特徴と歴史的変容を概説する。その後、タイ、フィリピン、インドネシアの官民によるイスラーム教育の具体的事例が示される。第43章(服部美奈)では、インドネシアにおける寄宿制の伝統的なイスラーム教育機関であるポンドック・プサントレンについて、その歴史的変遷と形態の多様化を論じる。第44章(中田有紀)では、インドネシアにおけるイスラームの多様な学びの機会として、農村部・都市部双方のモスクにおけるイスラーム教育の事例を紹介し、モスクが様々な世代のムスリムに、知識を継承する役割を担っていると述べる。コラム3(中田有紀)では、インドネシアで有名な初学者向けのクルアーン読誦学習用テキストである『イクロ』について、その創案者であるアスアド・フマムの経歴やその普及過程を論じる。
第Ⅵ部「グローバル化の中の東南アジアとイスラーム」(全5章)では、グローバル化の中で、東南アジア・イスラームに生じた変化について、社会、経済、イスラーム理解とその実践といった文脈から論じられる。第50章(茅根由佳)では、1970年代から今日までのインドネシアにおけるムスリム説教師の事例を数名紹介し、時世や活動媒体の変化に伴い、彼らの活動も大きく変容したこと、また、ソーシャルメディアの普及により、変化の様相が加速度的に進んでいる可能性を言及する。第51章(新井和広)では、「ハドラミー」と呼ばれるアラビア半島南部のハドラマウト地方出身者の東南アジアへの移住について、歴史的に概観した後、ハドラミーの中で、イスラームとの関連で大きな役割を果たしたサイイドと呼ばれる預言者ムハンマドの子孫たちの活動とその影響について、インドネシアの事例を中心に紹介する。コラム5(岡本正明)では、ムスリムが多数派を占めるブルネイ、マレーシア、インドネシアにおけるLGBTに対する社会情勢の変遷について、上記3カ国の事例から検討される。
第Ⅶ部「人物を通じてみる東南アジアのイスラーム」(全9章)では、各時代に東南アジア地域で活躍した人物の思想や活動が紹介される。第53章(新井和広)では、ジャワのイスラーム化に貢献したと言われる9人の聖者であるワリ・ソンゴについて、彼らの基本情報や研究状況が概説される。また、歴史的に彼らがジャワの政治面・文化面で果たした役割やワリ・ソンゴ廟と宗教観光の結びつきを論じる。第54章(山口元樹)では、インドネシアの二大イスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマーの創設者ハシム・アシュアリとムハマディヤの創設者アフマド・ダフランの経歴、思想、人物像を比較検討し、両者の共通点や相違点をあげると共に、両団体の設立過程や活動について言及する。第55章(山口元樹)では、オランダ植民地期末期から20世紀後半まで、インドネシアにおけるイスラーム指導者の中心的人物として活躍したモハマド・ナシールを取り上げ、彼の経歴や活動を検討する中で、独立後のインドネシアにおけるイスラームと政治の関係の変遷を論じる。第58章(佐々木拓雄)では、インドネシアにおけるリベラル派知識人であるアブドゥルラフマン・ワヒドとヌルホリス・マジッドの経歴、思想、活動内容を比較検討し、両者の思想面での相違点として、クルアーンの解釈議論に対する姿勢の違いを指摘し、同地におけるリベラルなイスラームの2つの潮流を示す。第60章(見市建、ハズマン・バハロム)では、リイス・マルクスとザイナ・アンワールいうインドネシアとマレーシアにおけるイスラミック・フェミニズム運動の活動家を取り上げ、両者の経歴や活動の軌跡を辿る中で、両国における運動の指導者層の特徴や展開の相違点を指摘する。
第Ⅷ部「東南アジアのムスリムと日本」(全4章)では、日本と東南アジアのイスラーム(ムスリム)との関わりについて、歴史、外交、往来者といった視点から考察される。第61章(倉沢愛子)では、日本と東南アジア・イスラームの大きな接点として、1930年代の国策上の必要性をあげ、戦中にはムスリム人口を多く擁するマレーシアやインドネシアにおいて、様々な対ムスリム宣撫工作が実施されたことを論じる。第62章(小川忠)では、2000年代以降のインドネシアの事例を中心に、日本の対東南アジア・ムスリム文化外交について、著者自身の国際交流基金での経験も踏まえて言及される。第64章(野中葉)では、日本に暮らす東南アジアのムスリム・コミュニティについて、在日インドネシアムスリム協会(KMII)とナフダトゥル・ウラマーのネットワークから考察される。それらの活動やモスク建設を検討し、そこで展開されるコミュニティの特徴を示し、今後もムスリム・コミュニティの多層化が進むことを指摘する。コラム6(有川友子)では、著者が研究調査の過程で出会ったインドネシア人留学生との体験を述べ、今後の日本社会への期待を込めたメッセージで、本書の幕を閉じる。
以上が本書の概要である。全体を通して本書の意義は、東南アジアのイスラームについて、時代・地域・テーマを横断的に考察することにより、東南アジア・イスラームの多様性を描き出している点にある。それぞれ専門の異なる多くの研究者による分担執筆でなければ、これ程、多種多様なトピックや視点を含むことは困難であろう。各章・コラムは、概ね4〜6頁で構成されており、非常に簡潔にまとめられている。もちろん通読することが望ましいが、関心のあるテーマや地域から読み進めることもできる。各項目には、参考文献も示されているので、それらの情報を拠り所に、読者自身で知識を深めていくことも可能である。こうした意味で、本書の内容は、異なる興味・関心を持つ読者に対して、広く期待に応えるものとなっている。
最後にあえて要望を付け加えると、本書のタイトルには、「東南アジアのイスラーム」と掲げながらも、その内容は、マレーシアやインドネシアといった島嶼部の記述が大部分を占める点である。本書は、各章・コラムを合わせて70項目から構成されているが、その中で大陸部を主題として扱っているのは、7項目(第26・28・29・30・35・40・45章)に過ぎず、第Ⅴ部から第Ⅷ部にいたっては、全て島嶼部の事例に終始する。大陸部のムスリム人口が島嶼部に比して少数といえども、もう少し大陸部のムスリムへの関心を広げることにより、本書で論じる東南アジア・イスラームの多様性をより鮮明に浮かび上がらせることができるのではないかと感じる。
しかしながら、以上の批評は、本書の価値を下げるものでは決してなく、本書は、東南アジアのイスラームを学ぶ者にとって必読の書と言える。また、他の地域のイスラームに関心を持つ読者にとっても、東南アジアの事例や研究の視角は、それらの地域との比較において、貴重な情報となるように思われる。東南アジアには多くのムスリムが暮らしており、日本を訪れるムスリムや日本で暮らすムスリムの数も増加傾向にある。イスラームとは、狭義の宗教面に限らず、社会生活全体の規範となるものである。本書は、イスラームや東南アジアについて、読者に新たな視座を提供してくれることであろう。