まず第3回KAPAL研究大会に発表者(自由発表)として参加した立場から、今大会を振り返ってみたい。12月18、19日の開催に向けて、12月に入るとすぐに何通かの発表者向けの連絡があり、7枚のA4にびっしり記された「KAPALオンライン研究大会マニュアル」も送られてきた。発表当日(19日)は10時の大会開始に先立ち9時から接続テストも行われた。これは特に私のようにパソコンに弱い人間には、至れり尽くせりだった。「KAPALオンライン研究大会マニュアル」は参加者、発表者、司会、司会補佐用に分かれ、発表者用には会場への入場方法、発表・質疑応答の進め方など、オンライン開催ならではの注意点が事細かに記されていた。接続テストでは映像音声が出ないことが判明したが、適切にパソコン操作を指示して頂いたおかげで、本番では無事に音声を出すことができた。

 これだけの運営準備には相当なエネルギーと時間が必要だったと思う。おかげで2日間を通した大会はスムーズに運び、私もパソコン操作に気を取られることなく落ち着いて発表でき、たくさんのコメントを頂戴することもできた。改めてお世話役、参加者のみなさんに深くお礼を言いたい。

 次に研究大会全体を振り返ると、「研究大会の位置づけ」として、ウェブサイトにある「カパル航海録(運営委員会報告)」の「運営方針・運営組織・来年時計画2018/12/16」のスライド9に、「カパルの意義と活力はカパルMLメンバーの能動的な参加から生まれる」と記載されているように、オンライン会場では活発な議論が交わされたと思う。カパルは学会という位置づけではないが、その分、他の学会の研究大会には見られないであろう発表者、参加者の幅広さにKAPALの厚みも感じた。一日目のシンポジウム「理想と現実のあいだで-<ヌサンタラ>多島海の地に夢を追う」では、企業人や起業家の方から、カカオやコーヒー豆の生産者や西カリマンタンの泥炭地を守る長年の取り組みを知ることが出来た。大変に失礼ながら、それまで特に大企業の方々が相手国の環境や、人々の生活の質に配慮されているイメージはなく、とても勉強になった。なかなか現地調査中にビジネスマンと出会う機会はないが、そういった方々からの報告が聞けるのもKAPALならではだと感じた。

 若手研究者たちの弾丸プレゼンは、5分という短時間でよく研究内容をまとめられていたと思う。自分がフィールドに入ったばかりの頃も思い出し全力で応援したくなった。他の参加者もそうだったのだろう、各々の経験から建設的なコメントが多く寄せられた。発言者の言葉の端々からは若手を育てていこうという熱意と思いやりが感じられた。

 自由発表では、コロナ禍を背景にオンラインを活用した様々な研究が見られ、アイディアをもらえた。私にはLINEやWhatsAppを利用した調査という発想はなかった。オンライン映像で得た情報を研究資料の一部として用いた研究も多かったように感じた。今後、コロナ禍が過ぎ去った後も調査方法のひとつとして大いに参考になると思う。私自身はジョクジャカルタ王宮の公式SNSの分析による発表を行ったが、公式SNSを用いることで王宮全体の文化活動が見渡せ、偏狭になりがちな現地調査だけでは得られない点を多くカバーできた。

 閉会の辞で加藤共同代表が「Pay Forward」と「Pay Back」という言葉を紹介された。Pay Forward」の意味は「順繰り」「恩送り」、また、「Pay Back」の意味は「返報」「恩返し」となるが、KAPALは「Pay Forward」の集まりであってほしいと述べていた。「Pay Back」は一対一で、受けた恩を直接お世話になった人に返すのに対し、「Pay Forward」の場合は一体多で、世代を超えて好意・厚意の拡散が可能となる。加藤共同代表が長年の研究生活を振り返りながら述べられた、重みと温かみを感じる言葉だった。

 KAPALに集う人たちは、とりわけインドネシアの人に言葉に尽くせないほどの恩を受けてきたと思う。されど研究あるいは腰を据えた仕事という性格上、受けた恩をなかなか返せない隔靴掻痒の感もあるのだとも思う。少なくとも私は恩返しをしようなどと考えるのがおこがましいほどの恩を受けてきた。ジョクジャカルタで4年間、居候させてもらったお宅のお父さんはダランだったが、ジャワ文化の生き字引のような人だった。ガムランの音色やふとした孫のしぐさに対して静かに深い喜びを目の奥に滲ませる姿には、ジャワ文化の芯が凝縮されている気がした。お父さん一家との暮らしで、どれだけのことを学んだか分からない。とうてい恩返しなど出来ない。

 けれど「Pay Forward」という言葉に「そうか、恩人に直接ではなくても、一対複数で恩を拡散していけばいいのか」と急に楽になった。確かに恩返しだと義務感にかられる感じがするが、順繰りだと空気の密度がふわっと軽やかになったような気がする。インドネシア語だと「Pay Back」は「membalas hutang budi(恩を返す)」となるから、やはり重い。「Pay Forward」は、「waris(継承する)」では重さが出てくるから、「turun(降りる)」、「urut(順にする)」くらいだろうか。どちらもバトンを渡していく、トントンと拡散させていくという意味で使えそうだ。

 しかし受けた恩を直接、恩人に返さなくて良いとしても、果たして縁のあった複数の人に同じように恩を繋いでいけるのか。同じだけの質と量の恩を繋いでいこうなど、これまた、おこがましいにも程がある。とうてい無理な話だ。ふと作家の森下典子さんが「柳は緑、花は紅」という言葉を紹介されていたのを思い出した(『好日日記』PARCO出版、2018、 68-75頁)。柳は緑に茂ればよいし、花は赤く咲けばよい、誰かになろうとせず自分らしくあればいい、といった意味。森下さんの友人の茶道の先生が、卒業する大学生のために選んだ掛け軸の言葉だそうだ。なるほど、自分らしく、自分が吸収したものを拡散すればよいのなら、さらに軽くなる。数えきれない恩人たちから「terserah kamu(好きなようにしてごらん)」と言われている気になる。

 このように振りかえると今研究大会は「Pay Forward」の場であったように思う。他の参加者に直接会えないのは、やはり寂しいが、オンライン開催であったことは、多くの人が集いやすい点で「Pay Forward」に味方した。改めて加藤共同代表の閉会の辞に想いを巡らせたとき、いわゆる学会ではないKAPAL設立の趣旨が「Pay Forward」に隠されていたことに気づいた。KAPALは今年度、退任される加藤・倉沢共同代表の「Pay Forward」への思いがぎっしり詰まった集まりだったのだ。KAPALを通して両代表から受けた恩をどうやって拡散していこうか思案所であるが「柳は緑、花は紅」のとおり、まずは私の出来ることを繋いでいこうと思った研究大会だった。