インドネシアという経験

 ライトニング・トークの発表者としてカパルに参加するほんの2ヶ月前まで、インドネシアは私にとって全く見知らぬ地域でした。2023年秋、私は日本での調査をもとに修士論文を執筆しながら、同時に博士後期課程での研究テーマを探していました。修士課程では、京都府のある砂浜海岸における環境保護活動とそれに関わる科学的な言説についての研究を行っており、砂や漂着ゴミがどのように扱われるのかを文化人類学と科学技術社会論(STS)の観点から調査していました。

 博士課程に進学する周囲の仲間たちが修士論文を発展させたテーマで研究計画を立てるなかで、私は思い切って全く別のことをやろうとしていました。文化人類学とSTSが交差する領域を軸にすることは決めていたのですが、具体的な研究テーマを決めかねていました。ヨーロッパや東南アジアのさまざまな地域について情報を集めるなかで、特にこれといった理由もなくインドネシアに漠然とした関心を持つようになりました。

 2023年10月、偶然が重なり、以前から交流のあった日本人アーティストたちとともにスマトラ島のリアウ州を訪れる機会を得ました。彼らはリアウ州で活動するインドネシア人アーティストたちのもとに滞在しながら作品を制作する、いわゆる「アーティスト・イン・レジデンス」を計画しているところで、その同行メンバーとして声をかけてもらったのです。渡航の4週間前に誘っていただいた私は二つ返事で同行することを決め、準備もそこそこに日本を出発しました。これが私のはじめてのインドネシア経験になりました。

 リアウでは、州都のプカンバルとスバヤン川沿いの村に合計1週間ほど滞在しました。きちんとした事前情報の収集もできないまま渡航したのですが、現地アーティストたちとの交流はすぐに自分の研究関心ともつながり始めました。特に彼らが制作の過程で行う調査や観測などの「リサーチ」の実践をはじめとして、文化人類学と科学技術社会論(STS)に関わるトピックがいくつも目につきました。この人たちのやっていることは私の研究関心にも関わるのではないかと直観的に感じましたが、インドネシア語もほとんど分からない状態だったため、その場では十分に思考を深めることはできませんでした。

発表に至るまで

 さて、カパルの存在を知ったのは、実はこの渡航の数日前のことです。すでにインドネシアで調査している先輩が、ライトニング・トークの発表者募集を教えてくださいました。その時点では調査どころか研究の構想もほとんどなかったため、発表はせずに参加しようかな、と考えていました。

 しかし帰国後、あのインドネシアでの経験、特にアーティストたちの活動と自分の研究関心との共振を今後の研究テーマの中にどうにかして位置づけることができないかと思い、ライトニング・トークへの参加を考え始めました。インドネシアに関する知識も研究歴も皆無に近かったため、当初は発表者としての参加は躊躇していましたが、短いインドネシア滞在で得た直観を自分の中で咀嚼するためにも、思い切ってエントリーすることに決めました。

 実際に発表を作り上げるのは想像以上に難しく、自分が考えていることや得た情報を5分間にまとめるのは至難の業でした。今振り返ると改善点が多く残る発表になりましたが、それでも思考や情報の整理を学ぶ良い機会になりました。

ライトニング・トークを経て

 インドネシアに触れたことがほとんどなかった私にとって、ライトニング・トークへの参加はかなりチャレンジングな試みでした。しかし、カパルという場に飛び込んだことで、右も左もわからぬまま経験したリアウでのインスピレーションを葬らずに研究へと発展させる手がかりを得ることができました。実際に研究大会当日には、質疑応答やその後の懇親会を含め、さまざまな方からいくつものヒントをいただきました。 その後、さらにインドネシアの状況について情報収集を進め、具体的な研究計画を立てながら博士課程に向けた準備を進めています。私にとって、カパルでの発表は、インドネシアという地域との関わり方を方向づけるきっかけになったと感じています。この意味で、ライトニング・トークは間違いなく私のインドネシアへの入り口となりました。