2024年11月16日の昼下がり、東京は港区、慶応大学三田キャンパスの西校舎のとある教室に足を踏み入れた私は、自分の目を疑った。溢れんばかりのインドネシア研究者たちが、自分が通う高校のそれの2倍はありそうな広さの教室を埋め尽くしていたのである。この狭い日本の一体どこに隠れていたというのか。同じ高校に他にインドネシアの研究を志すものなど当然おらず、今まで孤独に“インドネシア”と関わってきた私の心は踊った。
今回は、こんな調子で幕を開けた私の第6回KAPALへの参加、そしてライトニングトークでの発表の記録を、綴ろうと思う。KAPALでの発表を考えている学部生や、高校生も含めた、すべての“若手研究者”の参考になれば嬉しい。
2024年1月、高校生活の2年目が終わりかけていた私の足は、文京区の東洋大学白山キャンパスに向かっていた。この体験記を執筆時点(2024年12月現在)ではKAPALの副代表を務めておられる、長津一史教授に、私の研究調査におけるアドバイスを頂くためであった。
私は幼少期から、農学研究者であった母に同行し、東南アジアを中心に海外に多く渡航する経験があった。そんななかで、あるときインドネシアのボゴール県の農村で出会った歯のない子どもたちに衝撃を受けた。姿形は自分のような日本の子どもと変わらない彼らが笑顔を見せるたびに、私は日本とインドネシアの間に広がっていた深い溝を実感した。この差が帰国後も疑問に残った私は、長い時を経て、2023年8月、実際に当時の村で保護者たちにお話を聞く機会を経た。そこで、この状況が歯科医療の問題というより、社会経済的な問題により引き起こされていることを学んだ。
私は、そこで得られた知見を元に、より高いレベルでこの問題を精査するためのアドバイスを求めていた。このような経緯で私は長津先生の下を訪れる事になったのである。
先生の研究室にて面会するまでのすさまじい緊張状態を経て、私はなんとか長津先生に、自分の取り組みについて紹介することができた。一通り私の話しを聞き終え、私が求めていた以上に精緻なアドバイスを連発してくださった長津先生は、突然耳慣れないワードを口にした。「KAPALで、喋ってみない?」と。どうやら自分のような“インドネシアに関して知見を深めることに面白さを感じる人達”が集まるなんとも魅力的な研究会があるということを知ったのは、このときだった。当然二つ返事で参加を宣言した。
様々な方の助けを借りつつ、インドネシアでの夏の調査をある程度の形にすることができた私は、いざ、KAPALへと挑むことになる。
KAPALに向けて収集したデータを整理した結果見えてきたのは、経済的にも教育的にも都市に圧倒的な差をつけられている農村部と、それらの地域間で顕著な医療格差だった。さらに、農村部では有効活用が難しい公的保険制度と、高額ゆえに圧倒的に充実した内容で、都市部の高所得者にしか手が届かない民間保険の存在が、この格差を助長していた。他方で、無料の母子向けの地域的な保健センターの利用率は農村部で顕著で、この問題の解決の糸口も同時に見えてきた。
これらの興味深い調査結果を、5分のライトニングトークに収めることは、至難の業だった。なんども練習を重ね、触れる内容を大胆にカットして、苦心の末になんとか5分で収まりそうな内容にまとめることができた。
そして迎えた発表当日、もはや我が子のように愛らしいまでに育てたパワーポイントを片手に、私は慶応大学三田キャンパスに足を踏み入れた。そこで目にしたのは、過去に見たことが無い数のインドネシア研究者たちだった。
私の発表のタイミングまでの数時間、私の心は休まることがなかった。当然、発表への緊張が半分、他の研究者の方々の発表が面白すぎるのが半分である。こんなことを調べられるのか、研究者というのはこんなに楽しい仕事なのか、と。
そんなこんなであっという間に時は経ってしまい、私の発表の番が回ってきた。いくらライトニングトークが若手向けとはいえ、他の発表者の方々はすでに大学で本格的に学んでおり、何故か一気に増えた聴衆たちの貫禄も相まって、私の緊張はピークに達していた。しかも発表は私が最初で、かつ入念に記入したパワーポイントのスピーカーノートが使えないというまさかの事態。もう頭真っ白だった。発表台まで歩み出てから、何をどうしていたのか覚えていない。司会の方に振られてから、最後のスライドに到達するまで、ほとんど無我夢中でやり抜けた。次に覚えているのは、割れんばかりの拍手である。あの瞬間だけのためにこの一連のハードルをくぐり抜けてきたと言っても過言ではなかった。なにしろ、自分の2,3倍の年齢の、インドネシア研究の最前線で活躍している方々が、ひよっこで統計データのP値も取っていないような(後に検証した結果、すべてのデータが統計的に有意であったことは私の名誉のためにもここで述べておく)高校生の発表を称えているのだから。結局、発表時間はスピーカーノートの問題や緊張のせいもあり、5分の制限を1分以上オーバーしてしまった。
次の試練は質疑応答だった。ここでまた私は嬉しいながらも苦しい事態に直面した。質問者の質問のレベルがいずれもとんでもなく高いのである。彼らには私が博士課程進学志望の院生にでも見えていたのだろうか。かなり面食らいはしたものの、なんとか自分の経験や調査結果を元に回答を届けることができた。質問を通して、水資源や文化と歯磨き習慣の兼ね合いなど、新たな知見を大量に提供して頂いた。今後の研究に邁進しようと思える発表とすることができた。
長くなってしまったが、緊張やトラブルもあったものの、結果的にKAPALへの参加とライトニングトークは私にとって短期的にも長期的にも影響を与えることになった。短期的には、今後の研究の考え方として人文学的なアプローチを追加して、子どもたちの歯科健康問題を文化社会的な側面からも検証していくという考え方を私に提供してくれた。もちろん、人前で学術的な発表をするという高校生には貴重すぎる経験が身についたのは言うまでもない。長期的には、インドネシア研究に関してどの様に研究していくか、大学教員としてか、ADB(アジア開発銀行)やJETROの研究員か、などといったキャリアパスにも新たな知見をもたらしてくれた。いずれにせよ、一人で今回の調査結果を受け止めていただけでは得られなかった有り余る経験をすることができたKAPALに、私は感謝している。
大学入学後も学部から大学院まで一貫して研究を続け、再びKAPALにて参加し様々な知見を交換したい。
もしライトニングトークで発表するか悩んでいる、インドネシアに興味がある若手がいるのなら、ぜひ私は参加をおすすめしたい。ライトニングトークで話すことがないという場合でも、ぜひ会場で他の発表を聞いてみてほしい。インドネシア研究のフロントラインに立つプロフェッショナルたちと、他のどこでも得られないような意見交換が可能なKAPALに、あなたの人生が変えられるかもしれないからだ。