筆者は今回、初めて大会に参加した。白状すると、KAPALの存在自体は設立当初から知っていたのだが、これまで参加を躊躇していた。あまりにもインドネシア地域研究に関して不勉強である自覚があり、話に全くついて行けないのではないか、自身の無知がさらされ、非難の的となるのではないか、と不安があったからである。

 しかしその心配は杞憂であった。世代も学問領域も様々な研究者がインドネシアという対象地域の共通点で集まっているKAPALでは、まず第一に皆さんの発表内容に自分のフィールドと関連する点が多く、発表を聞いているだけで勉強になった。そして第二に、筆者は2日目に個人研究発表をさせていただいたが、現地の重要事項をしっかりと突くような的を射たご質問やフィードバックをいただけた。筆者のフィールドであるバリ島研究で著名な方々からだけでなく、バリ島以外の研究者の方々からもコメントをいただけたことも大きかった。

 以下に筆者が聞いた中で興味深かった発表をいくつかとりあげたい。まず1日目のシンポジウム「2024年選挙とジョコウィ政権の10年」は、地域研究、経済学、政治学などにまたがって2024年インドネシア大統領選挙での結果の内実とその背景を複層的に描き出す、貴重な機会であった。個人的にはとくに、(1)森下明子氏による発表で明らかにされた、2024年インドネシア国会議員総選挙にて地方政治ファミリーの影響が増していること、(2)岡本正明氏・久納源太氏による発表での、大統領選でのTikTok活用について、プラボウォが踊るエンタメ的な動画だけでなく意外と討論会などの「硬派な」動画も多く再生されていたことなどが興味深かった。

 また2日目のパネル「21 世紀のジャカルタはどう変わったか-アトラスを通じた人文情報学の実践-」では、統計データを地図に落とし込んで写真や民族誌的データと共に公表する学際プロジェクト「ジャカルタ・アトラス」の取り組みが紹介された。そのヴィジュアル的で直観的な数々の情報のおもしろさに、筆者はしばしウェブ上で無料公開されているジャカルタ・アトラスのデジタル・ブックに釘付けであった。

 個人研究発表の中では、ジャカルタ西部での洪水後の感染症罹患に影響を与える行動要因や社会的要因を分析した多嶋花帆氏の発表や、ジョグジャカルタのメラピ山溶岩ツアーを主要な生業とする人びとの姿を描き出した三宅良美氏の発表などが印象的であった。 

 さらに筆者に衝撃を与えたのは、ライトニングトークである。KAPAL初の高校生を含む3名の若手発表者による発表は、どれも既に本格的な学術調査に基づき、密度が濃く、質疑も大いに盛り上がった。勢いのある発表の数々をきいて、筆者も研究を頑張らねばと気をひきしめた。一方で、既に大学を退官された中川敏氏の個人研究発表にも筆者は勇気づけられた。中川氏はフローレス島のエンデの人びとの親族構造の複雑なあり方を精緻に分析していたが、発表で「45年間頭を悩ませてきたことが解決した」と仰っていたことがとても印象的だった。

 詩人・書家の相田みつをの作品で「一生勉強・一生青春」ということばを書いたものがある。KAPALにおいて、高校生からリタイア後の研究者まで同じように頭を悩ませ、勉強し続けている姿は、まさに「一生勉強・一生青春」を筆者に思わせた。たかだか20代で「無知だから」と参加を躊躇していた自分を恥ずかしく思う。今分からないことは44年後もまだ分からないかもしれないが、45年後にやっとひらめくこともあるかもしれない。そのために、さまざまな人から教わり、発信し、フィードバックを受け続けなくてはならない。

 先日、ある熱心な高校生から研究の相談を受ける機会があった。彼女はインドネシアにおける手話の状況や福祉について研究をしたい、とのことで筆者に連絡をくれたのだが、その関心の背景として、こう語った。「インドネシアって、今メディアでは成長がすごいっていうイメージでよく報道されていると思うんですけど、福祉の側面はどうなのかなって思うんです」と。1993年生まれの筆者としては、この現役高校生から見た「今のインドネシア」へのイメージに、世代差を感じた。筆者が高校生の頃、インドネシアはいわゆる「発展途上国」であり、まだまだ貧しく開発の対象である、というイメージが強かったように思う。それが今や、「成長著しい国」「勢いのある国」としてのイメージに切り替わっている。実際にその新しいイメージは、筆者が今フィールドワークで直に感じている印象とも合致している。変化していくインドネシアとともに、日本のインドネシアとの関わり方、日本人のインドネシアに対するイメージも変化してきている。

 そうした中で、正しく「インドネシアの今(あるいは過去)」を研究するには、特定のイメージに囚われない、様々なバックグラウンドをもった研究者同士の情報交換が不可欠であろう。10代から70代(?)まで、政治学から農業環境学まで、日本人からインドネシア人まで、今回のKAPAL大会はまさに、そうした多様さに開かれた研究の場であった。誰もが「一生勉強・一生青春」をしているような、活気があった。

 最後に、開催校である慶応義塾大学をはじめ、運営委員の皆さまにも御礼申し上げたい。対面参加を基本としながらもオンラインも併用するハイフレックスでの開催であったが、各自が発表や対話に集中できる非常にスムーズな大会であった。事務手続きや各種準備、当日の運営に至るまで、多くの仕事をしてくださったことと思う。重ねて感謝申し上げます。