~特別篇 「中堅だって聞いてみたい!」~

聞き手:宮浦理恵(東京農業大学)、貞好康志(神戸大学)

*「田中耕司さんに聞く(前篇)」はこちらからご覧ください。

人類の生存基盤としての熱帯・農業

貞好:21世紀初頭の今、人類と地球の存続の危機に対し、東南アジアを主な舞台に農学者として半世紀間取り組んでこられた田中さんは、その本質というかポイントをどのようにご覧になっていますか? 

急にえらく難しい話題になりましたね。東南アジアでは農業が依然として大事な産業セクターであり続けるだろうと思います。東南ア研のグループがグローバルCOEという共同研究プロジェクトを進めていましたが、その研究の一番の肝は、東南アジアのような熱帯地域が地球にとっての生存基盤だというメッセージだったと思うんです。熱帯地域が地球の熱源として最も重要な地域で、その働きが地球環境の大きな規定要因になっているということです。代表者だった杉原薫さんも言うように、熱帯が中心とは言わないまでも、これまでの温帯地域を中心にした歴史観や世界観を変えていく必要があることが提唱されていました。その脈絡で考えると、インドネシア、そしてより広く東南アジアという地域は、農業や農の営みという側面からも将来の人類の生存を捉え直すためのさまざまな視点を提供してくれる所ではないかというのが私の考えです。

貞好:人類の生存基盤として熱帯が今後いっそう大切になるというメッセージは、KAPALに集い東南アジアと関わっている人たちにとっても励ましになると思うんです。でも、農に関して言うと、肝心のインドネシアでも産業構造の変化につれて、農村人口や農業人口の比率が減ってきている傾向にあります。こういった状況をどうしたら変えることができるんでしょうか?

農業の比重低下や脱農化は熱帯地域でも続いていくでしょうね。主食となる主要穀類についても温帯の大規模な生産組織が世界のマーケットを主導していく状態はこれからも続くでしょう。農産物を利用した第2次、第3次産業もますます盛んになって、そういうセクターも温帯地域に拠点をおく大企業が担う状況が続くでしょうね。

貞好:少し話を戻しますが、人類の生存基盤の一つとして農があるといった時の農の役割というのは、食料生産もむろんあるんでしょうけど、それ以外にどんなことがあるでしょうか?

宮浦:農をどう捉えるかですね。作物と畜産物の生産だけと捉えるのではなく、水産や林産まで含めたもっと大きな生物産業として捉えなければいけないのではないでしょうか。温室ガス排出や農地の炭素貯留、海洋資源の問題も含まれてくるし、生物資源の多様性維持の問題まで関わってくるので、農をどういうレベルで捉えるかによって、生存基盤としての意味が全く違ってくるように思います。

貞好:つい農業は基本的に食料生産だと言っちゃったんですけど、少し考えると、バイオマスやオイルパームに典型的なように、工業原料とかエネルギー資源にもなっていますよね。アブラヤシに関わっている人はKAPALにも大勢いるんですけど、それと稲や雑穀やアグロフォレストリーなどとの共存を考えた時、いったいどんな農のあり方が、インドネシアみたいなアブラヤシ生産の世界1~2を争う国で今後望ましいとお考えでしょうか?

基本的には多様性を維持していくことが、熱帯地域の農業の方向としては一番いいと思います。インドネシアのアブラヤシの場合、大規模な企業農園での生産だけでなく、今では小農レベルでのアブラヤシ生産も拡大しています。その場合、小農がアブラヤシの生産だけを行っているのかそうでないのか、またアブラヤシがどんな風に作られているのかについて、まだあまり調べられていません。アブラヤシ栽培を始めた彼らが新たにどんな農の環境を形成しているのかを調べるのはたいへん面白いテーマだと思っています。

アブラヤシは西アフリカ原産の外来作物です。19世紀の半ば、今のボゴール植物園に導入されたのが最初でした。当初は観葉植物でしたが、戦後に急速にマレーシアやインドネシアで栽培が拡大しました。東南アジアにはもともと油料作物としてはココヤシがあって、小農がほんの少しココヤシを作っている所もあれば、大規模農園栽培もあります。この在来のココヤシとの対比になりますが、たかだか百年ほど前に導入されたアブラヤシがどういう状態で栽培されるようになれば東南アジアの作物として「現地化」したと言えるのだろうかということも考えています。西アフリカの小農と同じように東南アジアの人たちがそれを利用するようになったら「現地化」したと言えるのかな、などと夢想しています。

モンスーンや降雨林のような高温で雨に恵まれた気候下では、規模はほどほどにして丁寧に土地と作物を管理する方法で農業生産を維持するのがいいと思っています。「個体と群落の農法」という話題で書いたことですが、東アジアや東南アジアの稲作は、小規模でこまごまと稲の世話をする農業として発展しました。広々とした冷涼な草原で栽培化された麦作とは対照的です。1つ1つの個体を養育するかのように栽培される稲と、畑全体を群落として栽培される麦類とでは、農業のやり方が基本的に異なることを書きました。インドネシアの農業者はそういう基本的な違いをこれからも引き継いでいくだろうと思います。

ということで、ご質問への答えは多様性の維持が重要だということですが、では、将来にわたってそれが可能かどうかも考えておく必要があるでしょう。熱帯地域が人類の生存基盤と言われても、熱帯地域が温帯地域に取って代わるような地政学的転換はすぐには起こらないでしょう。だけど、将来、熱帯地域の人口が安定的に増加していくとしたら、今までとは違う形で熱帯の国々が勢いをつけていくことがあると思います。そうして経済的にも政治的にも地位を高めていったとき、技術開発や技術革新の「場」も転換するかもしれません。これまで農業技術はほとんど全てと言っていいと思いますが、温帯で開発された技術が熱帯に移植されてきました。「緑の革命」の育種技術や集約的な栽培技術がそうです。その一方通行が将来は解消されるという局面が現れてくるかもしれません。百年前を振り返れば日本は凄かったけれど今はインドネシアが凄いねっていうような未来も充分に想定できます。

農の営みと農学:日本と東南アジア

貞好:少し角度を変えた質問です。生存基盤としての農、中でも東アジアや東南アジアが培ってきた稲作を中心とする農のあり方が人類と地球の持続的発展に資するとすれば、日本の農学には、どの辺りに貢献の余地があるでしょうか?

日本の農業はモンスーンという気候条件の中で発展し、労働集約的かつ土地節約的な生産体制を築いてきました。これからは、資源をより持続的に使っていかないと地球の資源そのものが枯渇するとも言われています。そういう時に、農業資源を非常に集約的に使う日本の経験が同じような気候的特徴をもつ東南アジア諸国の農業の将来に貢献できることはたくさんあります。「緑の革命」の時代のような生産増大の時代は過ぎて、東南アジアでも農業と環境の持続性の維持という課題が重要になっています。農業における食料生産以外の役割の見直しという課題についても日本の農学が貢献できる分野はたくさんあります。

宮浦:農業をどう捉えるかという時に、労働力の問題と農業の多様性の問題はかなりリンクしてくるように思います。冷温帯域で卓越する大規模でシンプルなシステムでやっていく方向なのか、それとも小規模に多様な地域資源を利用する方向なのかという問題でもあります。小農がまだ小農として暮らしを維持しているインドネシアなどの東南アジア諸国では、その地域の資源を見極めてうまく利用している知恵と技術を引き継ぎながら農の営みを保持していくことの重要性は今ますます高くなっているのではないでしょうか。農という営みはその地域を形成する大切な活動です。持続可能性ということを考えるとき、その点をもっと強調してもいい気がします。

宮浦さんの言われたことは生存基盤論とも関係します。この頃私は、温帯地域の環境は資本にとって管理しやすい環境だという印象をもつようになっています。裏返せば、熱帯地域は資本にとって実は管理しにくい環境ではないかということになります。温帯は、資本を投下して大規模な農業をやりやすいところです。ところが、熱帯で小農がやっている農業をグローバル資本が代わりにやろうとしたら、ものすごいコストがかかるはずです。ジャカルタ近郊に野菜生産をする企業が入って温帯の真似事をすることはあると思いますが、土地を囲い込んで、例えばジャワの小農がやっている農業を資本がやることはないと思います。日射、降雨、気温、どれをとっても熱帯地域は豊かなエネルギーに満ちています。そういう「分厚い」環境が熱帯にはあります。エネルギー変換の豊かさと言っていいかもしれません。自然のエネルギーが満ち満ちている所では、小さな規模できめ細かく管理していくのが一番合理的です。単一の、しかも単純なシステムで大きく囲んでしまうと非常にリスキーです。

というわけで、熱帯地域というのは小農の家族農業経営が生き残れる環境だと思うんです。そういう環境だからこそ、集約的な家族農業が東南アジアのような熱帯地域ではまだまだ残っていくだろうし、次の時代の農業を作っていくんじゃないかという期待があります。自然資源をきめ細かくコントロールしながらバランスを取ってやっていけるのは小農経営だという期待です。資本に任せて大規模にやってしまったら、どこかでその穴が開いて破られていくというか、大規模にすればするほどリスキーになってくると思います。

次世代、KAPALへのメッセージ

貞好:では今度は、その農を研究する農学ですね。今おっしゃった、熱帯では大企業の一括管理はコストに合わないという認識だとか、その他の知恵をもつ農の専門家がインドネシアにちゃんと育っているのでしょうか。また、その人たちと日本の農学界の連携はできているのですか。

熱帯地域あるいはインドネシアに対して日本の農学がこれからも貢献できるのかというご質問だと思いますが、それに応えるだけの経験を日本の農学は積んでいます。これからも農業生産や生態環境・農村社会の維持、都鄙交流など、熱帯アジアの家族農業の持続的な発展に貢献できる学術交流・協力を進めてほしいと思っています。

気がかりなのは、昨今は、熱帯諸国を対象に研究している人たちであっても、各研究分野の狭い範囲のサイエンティフィックな関心で業績を上げていかないと、研究者として評価されないという現実があることですね。人文・社会科学分野の人たちも同じだと思いますが・・・。

東南アジア研究あるいはインドネシア研究という場合、それに携わる人たちが分野を超えて協力していくことが重要ですね。皆さんが忙しすぎて、異分野の人たちと共同研究を組むような仲間作りが難しいようですね。若い時からやらないと本当に腹を割って批判ができるような仲間はできません。私は、東南ア研という異分野融合を意識的に実践できる場にいたので、恵まれていたと思います。だから、KAPALには、そういう環境をつくる機会を提供してくれる場であってほしいと思ってるんです。

若手の会もあるようですから、そういう集まりの中から科研費などのグラントをとって一緒に調査に出かけようというグループが出てくるのを期待しています。まず、同じ車に乗って何日も一緒に旅行することです。ジャワを研究する人がスマトラを研究する人、カリマンタンをする人、スラウェシをする人と一緒に、4人が自分の調査地を1つ1つ案内しながら4人で4カ所を回るというのも面白いですね。

貞好:田中先生は東南ア研の所長を皮切りに大学行政にも深く関わってこられました。それらのご経験から、大学とKAPALのあり方について何かメッセージがあればお聞かせ願いたいです。

大学の教員・研究者は、自分の研究分野でいい仕事をすることがまず第一でしょうね。そして若い人たちに勉強する機会を与えていくのが次に期待されることだと思います。今の学生たちは以前より簡単に海外へ出かけます。また、いろんな形の交流が可能になっているので、若い人たちにそういう環境のなかでさらに勉強できるチャンスを作ってやるということは重要な役目になるでしょうね。

KAPALと大学との関係については、KAPALは大学の研究者が学会の真似事をする場所である必要は全くないということに尽きます。要するにアリーナでいい、ミーティングの場所でいいわけです。KAPAL自身がそういう方向を失わないように、色んな人が出入りしやすいチャネルを増やしていくことでしょうね。入りやすいチャネルには入りやすい人しか来ないわけだから。KAPALに色んな人が参加しているということがもっと可視化されれば、それがまた入り口にもなると思います。

貞好:では、時間も当初の予定にほぼ近づいてきましたし、話もほぼ一段落しましたので、今日はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

左上より時計回りに田中耕司、宮浦理恵、貞好康志(敬称略)

情報担当委員より】

序文にも書かれている通り、本企画は、インドネシアと関わりの深い先達・先輩にカパルの次世代(院生やPDなどの若手)が主体となってインタビューを行い、それを通じて得られた経験や考え方を読者と共有するのが目的です。まだ面識はないが一度話を聞いてみたいと思う先達・先輩の心当たりがある若手の人は、個人でも何人かのグループでも構いませんので、ご気軽にessay(アットマーク)kapal-indonesia-jepang.net宛て相談をお寄せください。インタビューが実現できるよう、私たちが(仲介・同席・編集など)お手伝いします。