※「米倉等さんが語る(前篇)」はこちらからご覧ください。

東北大学での教育研究(2000~10年代)

 そうこうするうちに、1998年、東大の原洋之介先生に博士の学位を頂きました。審査員には加納先生にも加わっていただきました。出した途端に、全く縁もなく訪問したこともなかった東北大学から来ないかと誘われました。こんなチャンスはないとも思いましたし、少し理論研究も深めようという心意気もありました。農学部・農学研究科に17年在籍し開発経済学や資源政策、国際開発を担当しました。東北大時代の成果は、研究というより学生教育でした。多少でも自慢できそうな成果というと、このシンポのファシリテーターの池田真也君を含めてドクターを数名出したことかなと感じています。

 東北大学に移って、2000年代は、科研費など比較的お金が自由になって、CGPRTセンターに出向していたときの調査地をなぞるかたちで、東ジャワ州マラン県のワジャッ郡、ゴンダンルギ(Gondanglegi)郡、それからプジョン(Pujon)郡のなかから、それぞれ適当な村を1カ村ずつ選んで調査をやってみました。一つは畑作物の村、もう一つは米とサトウキビの村(レンガや屋根瓦の生産も盛んな村)、もう一つは高原の野菜の村(写真16)と、アグロエコロジーが違う村を3つ選びました。

写真16 マラン県プジョン郡タワンサリ(Tawangsari)村での調査時、2002年。右から1番目はジャムハリ君(当時東北大学留学生、現ガジャマダ大学農学部社会経済学科教授)、2番目は月岡直明君(当時院生、現在は農水省)、3番目はバンバンさん(ブラウィジャヤ大学畜産学部講師、その後教授)、4番目はングブロン区長ムクロミンさん。左端の2人は運転手のサイドさんと調査助手の学生、左から3番目はエニさん(現トゥルノジョヨ大学講師)。左から4番目がマルユナニさん(ブラウィジャヤ大学経済学部講師、その後教授)、1980年代より永く東ジャワでの農村調査に協力していただいた。

 それから、ほぼ同じ時期、東京大学とボゴール農科大学による拠点大学事業がありまして、それに加わりました。ヨグヤカルタ特別州のスレマン県の村々で、農産物の流通調査などを実施しました。2010年代は、そういったプロジェクトも終わり定年も間近になって、まだ体力が残っているあいだにもう一回調査をしておこうということで、2000年代に調査した3カ村で再調査をしました、それから、ダンピット(Dampit)郡でコーヒーの村の調査もしました(写真17~26)。

写真17 マラン県ワジャッ郡スコリロ村での風景、院生(東北大学国際開発学研究室の院生・留学生)が持っているのは調査票、背景の作物はサトウキビ、バナナ、キャッサバなど、2010年再調査時
写真18 同スコリロ村道路脇のミーアヤムの屋台。昼時、サワ(sawah, 水田兼畑)で農作業していた農業労働者や家族づれなどが食事に来ていた、2010年
写真19 マラン県プジョン郡タワンサリ村の高原野菜栽培集落ングブロン区(Dusun Ngebrong)、かつてオランダ時代にはコーヒーの栽培地だった。現在、周辺の山々ではアグロフォレストリーが行われ、キャベツ栽培などが盛ん、路上で運ばれているのは乳牛用飼料のトウモロコシの茎葉、2011年
写真20 ングブロン区でのアグロフォレストリー、樹間でキャベツ栽培、2012年
写真21 ダンピット郡バトゥレトノ(Baturetno)村で、村内を巡回する移動コーヒー脱殻機(天日乾燥したコーヒー豆の殻を剥いでグリーンビーンズに加工)、2015年
写真22 バトゥレトノ村で調査票を使ったインタヴュー調査中の様子、2015年

写真23(3枚) インタヴュー調査のお礼に配る日用雑貨品、食用油、砂糖、インスタントラーメン 、歯ブラシ、石鹸などの袋詰めセット(2016年撮影)。約100軒分となると、車の荷台が満杯になる(右、2015年の撮影)。

写真24 ゴンダンルギ郡ウレウレ(Urekurek)村、水稲とサトウキビ栽培の他レンガと屋根瓦製造が盛んな集落(区)を調査、2016年
写真25 2000年以降の調査では、フィールド調査終了後、現地の大学で直ちにデータを電子化している。調査に参加した学生らが約1週間かけてデータベース・ソフト(アクセスを使用)で全データを入力。写真の奥5人がブラウィジャヤ大学学生、右から1人目は小林慶君(東北大学国際開発学研究室の院生、現在JETRO)、右から2人目は川島滋和さん(県立宮城大学食産業研究科教授)、2016年

写真26(2枚) データ入力作業中の昼食風景と定番の昼食メニュー、ミー・バッソ、2016年。村での調査中は、余裕のある村の農家に食事作りを依頼するか、付近の食堂で食事。

教育・研究のネットワーキングと研究成果

 2016年には農学研究科を退職になりました。そのあと2021年までの5年間、1、2年の教養課程の学生を看る教養教育院というのが東北大にありまして、そこに移りました。教養課程の学生対象で入門的な小規模ゼミを主に担当しました。経験豊富な名誉教授が各専門に基づいておこなうチャレンジャブルな内容という触れ込みでした。そこでは、インドネシアから離れて話を広げ、ユーラシア農業史や環境史、さらに資源経済学などをテーマとして教えておりました。

 大学に移ってよかったことは、研究環境を自分で勝手に整備できるということでした。それが非常に面白くて、そのインセンティブに引きずられて、ガジャマダ大学、ブラウィジャヤ大学、ボゴール農科大学、パジャジャラン大学といった、インドネシアの主要4大学と東北大学とで大学間協定を結びました。この仕事に忙殺されているうちに、年をくって定年退職ということになりまして、あまり大した研究成果をあげられなかったという感じです。

 最後に、若干の研究成果を紹介します。政策研究の分野で、農業金融に関する成果を『アジア経済』の特集号で、山本裕美さんが代表になってまとめたものを出しております[1]山本裕美(編)『アジア経済: 特集 アジアの金融』31(6-7), 1990.。それから、1990年代に流通や市場の問題を中心に研究したものとして、1995年、アジ研で出している英文機関誌Developing Economies(DE)で“Institutional Arrangement of Asian Agriculture under Market Incompleteness”という特集号で公表しました[2]Yonekura, H. ed. Developing Economies: Institutional Arrangement of Asian Agriculture under Market Incompleteness. 33(4), 1995.。それから、政策研究としては、2000年代前半で「構造調整視点から見たインドネシア農業政策の展開」や[3]米倉等「構造調整視点から見たインドネシア農業政策の展開: 80年代中葉からの稲作と米政策を中心に」『アジア経済』44(2), 2003, pp.2-39.、佐藤百合さんがアジ研で組織された研究会で「BULOG公社化の背景と特質」というテーマでBULOGのことを論じました[4]米倉等「BULOG公社化の背景と特質」佐藤百合(編)『インドネシアの経済再編: 構造・制度・アクター』アジア経済研究所研究双書, 2004, pp.261-294.。これはDEで英語にしてくれて[5]Yonekura, H. “Institutional Reform in Indonesia’s Food Security Sector: The Transformation of BULOG into a Public Corporation.” Developing Economies. 43(1), 2005, pp.121-148.、今でも引用されたりして、多少自慢できる成果になったかなということで、佐藤百合さんには非常に感謝しております。

 政策研究も、そろそろ店じまいしようかと考え始めていたところ、再び、CAPSA(旧ESCAP-CGPRTセンター)から話を頂きました。アジアの農業政策に関して相互に調整するようなプラットホームが欲しいということでした。アジア8カ国、インド、スリランカ、それからバングラデシュ、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシア、それにタイからの農業試験場の代表や、社会経済、特に農業政策を担当している部署の科長[6]国の科学技術関係の研究機構では、課長職を「科長」と記すようです。それに倣いました。を集めて、国際研究を組織しました(略称AGRIDIVプロジェクト)。国際農林水産業研究センター、昔「熱研」と呼ばれていたところですが、そこの杉野智英さんが代表になって、研究プロジェクトを運営してくれて、私はアドバイザーという格好で加わり、多少の成果を出しました[7]Sugino, T., H. Yonekura, and P. Hutagaol, Integrated Report of the Project “Identification of Pulling Factors for Enhancing the Sustainable Development of Diverse Agriculture in Selected Asian … Continue reading

写真27 AGRIDIVプロジェクトの成果取りまとめセミナー、CAPSA にて2005年。中央背の高いオランダ人がCAPSA所長のタコ・ボッテマさん、その左が米倉、右が杉野さん

 それから、先ほど触れた拠点大学プロジェクトの成果として、東大農学部の岩本先生とガジャマダ大学農学部のスラメット・ハルトノ(Slamet Hartono)先生(故人)がエディターになって、Economic Structure and Social Institutions in Rural Javaという本をまとめられました[8]Iwamoto, N and S. Hartono (eds), Economic Structure and Social Institutions in Rural Java, Gadjah Mada Univ. Press, 2009.。そこに、流通について2本の論文を載せておりまして、これは個人的には、けっこう力を入れて書きましたが、あまり評判にはなっておりません。2010年代の農村調査の成果は残念ながらまだ出せていません。

 この辺で時間が来ましたので終わりたいと思います。私の最近の問題関心としては、ミナンカバウの母系制と土地制度、北スマトラ・アサハン開発、東ジャワでの土地紛争や同シドアルジョ県の熱泥噴出による被害と住民移転問題(関連して日本の東日本大地震被災地の集団移転問題)などがあります。これらは、現代インドネシアが抱えている重要な問題だと思い気がかりですが、私自身にこれらの研究をまとめあげていく能力、体力、気力が残っているかどうか懸念していると申し上げて終わります。何かの機会がありましたら、皆さんとお話しすることができればと思います。どうも、ご清聴ありがとうございました。


シンポジウムを終えて

 インドネシアの農村経済研究の末端にいる身として、著名な加納先生と米倉先生をお招きしたシンポジウム「先達と語る」は緊張するものでしたが、無事終えることができて安堵しています。また、運営委員の諸先輩方のサポートに大変感謝致しております。

 私自身アラフォーということもあり、個人的に先達から学びたかったことは、「ある程度研究経験を積んだ若手はどのようにすれば次の研究で飛躍できるのか?」でした。企画段階からお二人と接する中で、そのヒントが掴めればいいなと考えていました。シンポジウムを終えた今振り返ると、研究をしているうちは想定外のことが頻発して順調にいかないもので、だからこそ最後は「根性」で乗り越えるものなのかなと思います。70歳を超えてもパワフルに活躍されるお二人が非常に印象的だったからそう思ったのかもしれません。

 シンポジウム「先達と語る」に御登壇いただき、誠にありがとうございました。

(池田真也:茨城大学/Kapal運営委員大会プログラム・シンポジウム担当)

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