信田敏宏(国立民族学博物館)

 マラッカ海峡を挟んで対置する「オラン・アスリ」をめぐる比較は、国境の持つ意味や先住民概念の政治性を考える上で、大変興味深い。

 「オラン・アスリ」といえば、マレー半島の先住民を思い浮かべる方が多いのではないだろうか。しかし、大澤隆将氏の論考(2007)によれば、スマトラ島沿岸地域、リアウ州にも「オラン・アスリ」と呼ばれる人びとがいるという。リアウ州では、サカイ、タラン・ママック、ボナイ、プタラガン、アキット、スク・アスリ、オラン・ラウトを、「地理的・政治的に孤立したアダット共同体(Komunitas Adat Terpencil)」と位置づけ、彼らの総称として「オラン・アスリ」が使用されているという。

 このリアウ州の「オラン・アスリ」とマレーシアのマレー半島部に暮らすオラン・アスリは、それぞれ属する国家が異なり、それぞれの国家の中での位置づけも異なる状況にあり、言ってみれば別々の民族である。実際、大澤氏の論考に、マレーシアのオラン・アスリについての言及はなく、かくいう私もこれまでマレーシアのオラン・アスリについて長く研究を続けているが、インドネシアの「オラン・アスリ」に言及したことはない(信田2004、2013、2019など)。

 では、この両民族はまったく別の民族かといえば、そう言い切れるわけではない。シュリーヴィジャヤ、マラッカ、ジョホールなどの王国時代、マラッカ海峡の沿岸部には、マレーシアのオラン・アスリやリアウ州の「オラン・アスリ」の祖先たちが居住し、様々な交流があったことは容易に想像できるからである。リアウ州の「オラン・アスリ」の暮らしぶりや文化的な特徴と、マレー半島南部に暮らすトゥムアンやジャクンなどのオラン・アスリ社会に類似点が見られ、彼らが交流していたことは想像に難くない。

 たとえば、かつてのオラン・ラウトの末裔で、現在はジョホール州の沿岸部に暮らすオラン・クアラ(オラン・アスリの1グループ)は、同じグループ(別名)がインドネシア(スマトラ島)に多く居住していることがよく知られている。また、私が調査しているヌグリ・スンビラン州(マレーシア)のトゥムアンの人たちは、自分たちの祖先がマラッカ海峡のどこかの島から舟に乗ってやって来たという神話を伝承している。

 「オラン・アスリ」の祖先たちは、かつてマラッカ海域を移動しながら、さまざまな理由でそれぞれの場所に落ち着いたのであろう。しかし、彼らが暮らしていた場所は、やがてイギリスやオランダの植民地となり、その後、マレーシア、インドネシアという国家の中に位置づけられていったのである。国境線が引かれ、交流が途絶えたことにより、起源を同じくする民族が、別々の民族のようになったとしてもおかしくはないのである。

 では、彼らが現在それぞれの国でどのように位置づけられているのかである。マレーシアでは、イギリス植民地時代にオラン・アスリを保護する法律が制定され、オラン・アスリを管轄する行政局(Department of Aboriginal Affairs)も設置された。独立後、1970年代になると、いわゆるブミプトラ政策が実施され、マレー人、オラン・アスリ、及びサバ州・サラワク州の先住民が「ブミプトラ」、すなわち先住民と認められるようになったのである。一方、インドネシアにはマレーシアのような国レベルの法律はなく、特定の民族を「先住民」と認めることはせず、国際社会に対しては国民全員が先住民であると表明している。

 こうした違いは、先住民運動にも影響している。マレーシアもインドネシアも2007年の「先住民の権利に関する国連宣言」を批准しているが、マレーシアでは先住民運動が活発化しているのに対し、インドネシアでは、上述のような政府の基本的な立場に基づき、国レベルというよりも、あくまで地方レベルの政治の枠内に議論や運動がとどまっているようである。

 こうした先住民をめぐる諸問題を広く知ってもらおうと、2020年3月19日(木)から6月2日(火)まで、【新型コロナウイルスのため、当面のあいだ延期】大阪・吹田市にある国立民族学博物館において特別展「先住民の宝」が開催される。特別展では、マレーシアのオラン・アスリをはじめ、オーストラリアのアボリジニ、カナダの北西海岸先住民、北欧のサーミ、日本のアイヌなど、9つの国や地域に暮らす先住民を紹介する。先住民の歴史や現在の暮らし、彼らが抱える問題や国家の課題など、様々な角度から紹介する展覧会である。機会があれば、ぜひご観覧いただきたい。

特別展「先住民の宝」

kapal運営委員会情報担当より

 今回、「先住民」をキーワードとして、「カパルの本棚」と「カバル・アンギン」の連動企画による2本の投稿を掲載いたしました。

 「カパルの本棚」では、ジャンビ州のオラン・リンバ(森の人)に対する教育活動を主題とする『Sokola Rimba』の書評を、リアウ州の先住民研究を専門とされている大澤隆将さんにお書きいただきました。

 また、「カバル・アンギン」では、国立民族学博物館の特別展「先住民の宝」の実行委員長である信田敏宏さんに、同展の紹介とともに、信田さんが専門とされているマレーシアの先住民とインドネシアの先住民の問題を対照していただきました。

 お二人は文化人類学者ですが、内容は文化人類学に限るものではなく、さらなるインドネシア理解・東南アジア理解につながる興味深い内容です。双方を合わせてお読みいただければ幸いです。

参考文献)

大澤隆将(2017) 「国家の拒絶と受容―東部スマトラ沿岸部の部族社会における周縁性と権力に対する態度」『文化人類学』81(4): 567-585.

信田敏宏(2004) 『周縁を生きる人びと―オラン・アスリの開発とイスラーム化』京都大学学術出版会

―(2013)『ドリアン王国探訪記―マレーシア先住民の生きる世界』(フィールドワーク選書 1)臨川書店

―(2019)『家族の人類学―マレーシア先住民の親族研究から助け合いの人類史へ』臨川書店