聞き手: 二重作和代(京都大学大学院・院生)、野中葉(慶應義塾大学)、島上宗子(愛媛大学)

 「倉沢愛子さんに聞く 9・30事件をめぐる作品に込めた思い、そしてこれから (上)」はこちらからご覧ください。

歴史は必ずみてほしい ―― オランダ語文書と新聞

――島上:『大虐殺』(2020年、中公新書)を出されたきっかけは、新しい史料が見つかったことが大きいんでしょうか。

インタビューの話ばかりしてきましたけど、私は歴史家なので、史料の裏付けを出来る限りしたいという気持ちがあって、『大虐殺』は、日本の外務省の史料を使ったことと、ジャカルタの国立公文書館(Arsip Nasional)での史料が重要な意味を持っています。未整理のものが多いですけど、スカルノ時代からのドキュメントが役所ごとに分かれて沢山出てきています。特に1965年の事件直後の記録はずいぶんあるんです。もちろん9・30関連としてまとまってはないですよ。でも、側面的に当時の様子を知る、においを嗅ぐというような史料は結構、今、出てきています。私だけでは、全部読み切れないので、どなたかぜひ若い方にやってもらいたいですね。

今の若い方には、とってもおもしろいトピックで、すごいフィールドリサーチをやっている方たくさんいますよね。でも、いつもちょっと問題だと思っているのは、歴史がない。せめてオランダの末期くらいからの歴史はやってほしい。今の社会に影響を与えている歴史をやってほしい、と思います。博士論文でできなくても、その後、本にする時は、絶対、文書(もんじょ)を繰ってみてほしい、って思うんですね。

その地域のオランダ時代はどうだったか、という文書は、必ずオランダにあるんですよ。地方行政官が報告書をみんな出してるから、ある程度のことはわかるんです。みんな、「え、オランダ語~?」って言うじゃないですか。オランダ語ができなきゃいけないっていう歴史の先生も多いけど、私は、自分でやれないなら、そこだけ翻訳にだしてもいい、って思っています。文書を使わないよりずっといい。もちろん、探すところまでは自分でやらなきゃいけないから、それくらいのオランダ語はできなきゃいけない。そうやってでも使ってください、と言いたいです。

それと、割とどこにでもあるのは新聞です。ローカル紙も含めると必ずどこかにある。古い時代の新聞をずっと見ていけば、何か自分のトピックに関係のあることに出会える。これは時間がかかりますよ。70年代までは検索も難しいですしね。だから図書館にこもって古い新聞をずーっと毎日毎日めくっていくんです。気が遠くなりますよ。だけどね、面白いんです。新聞を見ていると自分が探そうと思っていた記事以外にも面白いものがいっぱいでてきて、つながるんですよ。副産物が必ずあるの。気が付かなかったことが出てくるんですよ。

たとえばね、『大虐殺』を書くために新聞を見ていて気づいたのは、やっぱりベトナム戦争との関連です。紙面で、ばーんとベトナム戦争が出てきて、9・30がちっちゃいわけですよ。冷戦という構造の中で9・30を見ていかなきゃいけない。そういうのがじわじわじわじわと、紙面の構成を見ているだけで、わかるんですね。

9・30を書くということ

――二重作:今回、なぜ『大虐殺』とバリの『ジェノサイド』(2020年、千倉書房)の2冊同時に出版ということになったんですか?

これは全くの裏話ですが、最初はバリの話を中央公論に売り込んだんです。そうしたら、「この内容では、新書には重すぎる」とお断りされて、逆に、「何かもっと軽微で、皆の関心を引くようなものに書き換えてくれないか」と言われたんです。それじゃあ、もういっそ2冊だそうと思って、やったの。だから、バリの方は先に原稿が出来ていたんですけど、たまたま結果的に全く同じ時期に出版ということになったんです。

――島上:先生が2007年に書かれた9・30に関する論文では、和解に向けた希望が感じられるのですが、3部作では徐々にニュアンスが変わっていきますよね[1] … Continue reading。2020年の2作品では、事件の風化に対してこれでいいのか、というメッセージを強く感じます。

9・30に対するレフォルマシ後のインドネシアの政権の態度は、時期によってずいぶん違うんです。一番調査しやすかったのは、グス・ドゥル(第4代大統領ワヒドの通称、在任1999-2001)の時でした。ジョコウィ(現大統領、在任2014~)にも最初は期待してるところがあったんだけど、結局期待外れでした。メガワティ(初代大統領スカルノの娘。第5代大統領、在任2001-2004)が裏についているジョコウィでもダメか、という絶望ですよね。

一方で、インドネシアでは、今、9・30関連の本は出版すると売れるんですよ。だから、ある程度の社会的地位にある人は、被害者であることをカミングアウトして、どんどん書いてるし、社会的に名が知られているから、体制側もつぶすことはできない。だけど一番弱いのは、そういう基盤のない人たち。名もなき人たちは、いまだに職場でも村の中でも、言ったら大変なことになる。本当に理不尽です。

私も、現地のいくつかの出版社からインドネシア語で出版しないかと声をかけられたこともありますよ。でもやっぱり怖いです。話してくださった方々も、私が日本人で、日本語で書くと思っているから、話しているでしょう。だから、だいぶ気を使わないとだめだと思いますね。

――野中: 930関係で第四作の予定はありますか?

今回書けなかったのは、9・30が起こったためにインドネシアに帰国できなくなったり、海外に出て行ったりした亡命者たちのことです。実はもう、かなりデータは集まっています。すでに、カミングアウトしている方たちもいますけど、これも書くとなると個人の話が中心になるので気を使いますね。

――島上:930のような重たくてセンシティブなテーマに取り組む原動力は何なのでしょう?

しつこいからですよ。ホントに自分は、知りたいと思ったらしつこいんです。でも実際、本にするのは難しいと思っていました。私、このテーマでまともに助成金を取れたことがないんです。だからこのテーマは、日本ではダメかなという気持ちがあって。でも、だからとにかく書いておこうという気持ちでした。出版は二の次です。バリの話は、全部原稿を書き上げてから、売り込みに行きましたよ。

――3人:えー、そうなんですか!? すごい~!

次世代に記録・史料を受け継ぐ

――島上:インタビューは全部録音して保管されているのですか?

ええ、録音してます。昔のテープが自宅の地下に何百本もあります。それが今問題。死ぬ前に、なんとかしなくちゃと。今探そうと思ってもないものや、すでに亡くなった方のインタビューもあるのでデジタル化しておいたほうがいいですし、ドキュメントもみんなスキャンして、デジタル化しなきゃダメですね。それから、原本もどこかに置いておきたい。最終的にどこに引き取ってもらおうか、頭を悩ませているところです。

だけど、これは資料保存プロジェクトとして取り組まないと、ムリですね。私のものだけじゃなくて、私の世代の方々はみんな色々な資料を持っていらっしゃるから、どなたか若い方が中心になって、科研を取るとか、カパルで呼びかけるとか、大々的にやってくださらない?

9・30も含めて、私が今まで集めたものは全部提供しますよ。じゃないと後の方たちが、もう一回同じ苦労をして集めないといけない。今から集めようと思っても集められないものもたくさんありますからね。続きからやってもらったら研究もレベルアップするじゃないですか。

――野中:そうですよね。倉沢コレクションができればいいですよね。

――三人:今日は本の話だけではなく、若手へのメッセージをたくさんいただいて、私たち、もっともっとがんばらなきゃ、と思いました。ありがとうございました。

そうよ、皆さんこれから長いんだから。うらやましい。若い世代が一番がんばってもらわなきゃいけないのだから、よろしくお願いしますね。

インタビューを終えて(二重作記)

 今夏から博士論文にむけて長期調査を予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大を受け、やむなく渡航を延期し、「これからどうしよう」と先の見えない状況に不安を感じていました。そんな中、今回この企画のお話をいただき参加しました。9・30事件をベースに、倉沢先生の学生時代から現在にいたるまでの研究への姿勢や熱意を知り、若手へのメッセージもいただき、とても励まされました。おそらく、この企画を目にして同じように感じた人も多いのではないでしょうか。特に粘り強く調査に取り組む姿勢や、歴史を見ることの重要性は、まさに自分にとって必要だと感じましたし、実践していかなくては、と思いました。ありがとうございました!

脚注[+]