はじめに

 台風、そしてCOVID-19のパンデミックにより繰り返し延期された本大会が、2020年11月28日から29日にウェブ大会として開催されたことは、いろいろな意味で意義深いことであった。なかんずく、関係者各位の円滑な運営により、国内は言うに及ばず、インドネシアなど海外からの多数の参加者を得たことは、災い転じて福となす素晴らしい成果であった。またほとんど前例のない中で、並行して行われる複数のセッションに、多数の参加者が快適でスムーズな参加を可能にした運営方式は、今後、地域研究学会等の運営に長期的で決定的な影響を与えるものと信じる。

 筆者は二日間時間を忘れて本大会に没頭したが、もちろんそのすべてを論じることは手に余る。以下では、筆者の参加したセッションや発表についていくつか感想を述べたい。

 まず、特筆すべきは、今回初めて行われた若手研究者らによる弾丸プレゼンである。4人の研究者が5分という限られた時間の中で自らの研究を語るこの試みは、直後の懇親会の初めに行われたQ&Aタイムと合わせて、有意義で刺激的な時間となった。発表者は、自身の研究を究極的にコンパクトに整理して広く知らしめ、多数の参加者から多様な反響を得ていた。おそらく多くの聴衆と同様に筆者もまた、若手研究者のフレッシュな研究に触れ、単なる知見をこえたさまざまの知的刺激を得た。新たな協力関係など、今回のプレゼンの生み出す「化学反応」に大いに期待したい。以下、時間順に筆者の参加したセッションから、いくつかを紹介する。

セッション発表について

 一日目の「セッション1B 地域社会のダイナミクス」から、中川敏「従われない規則を守るしかた-エンデにおける『母方交差イトコ婚』」は、有名な「母方交叉イトコ婚」が、エンデ社会においては、実際に行われることが困難であり、筆者のような門外漢が考える母方交叉イトコ婚のモデルも実はそのとおりでないという事例紹介を軸に、行われるべきことが行われないことの重要性を示した。慣習的な義務を果たさないことが当事者間の負債関係を発生させ、社会関係を維持する紐帯となるという指摘は、筆者にとって知的な驚きをもたらしたが、報告者はさらに折口信夫『古代人の思考の基礎』を引いて、それが決してエンデにのみ特殊でなく、一般化可能であることをも示した。

 「シンポジウム1 アブラヤシはインドネシアに何を提起したか?—日本の研究者・NGOの立場から考える」は、表題通りインドネシアにアブラヤシがもたらした功罪を、経済学・人類学・農学の各研究者と環境NGO活動家がそれぞれの立場から検討した上で、インドネシア現地の「農民」を中心とした営為に、地域研究者やNGOがどのように寄与しているのか、そして今後しえるのか、までをはっきりと描いた。その内容は、インドネシアに関わるものすべてが、各々の活動において現地社会に関わっていくうえで、参考とすべきものである。

 二日目の「セッション2B 海の世界の生業と知識の所在」から、間瀬朋子「インドネシア–オーストラリア境界海域世界にみる生業様式の変化—ロテ島漁民の経験知と合理性」は、インドネシアとオーストラリアの境界における海域世界の生業が近年どのように変化を遂げたかを、生態環境および長期的歴史背景の中で明らかにした。島の南岸にあって境界海域漁場により近い、ほぼ漁業専業のバジャウ人集落と、北岸にあって当該漁場へのアクセスがやや不利な、漁業と海運業を兼業してきた非バジャウ人集落という、ロテ島の異なる二つの集落住民が、外的経済要件の変化に対応して、それぞれ異なる対応を行う様子を明解に描き出して、今現在のいわゆる「グローバル社会」の不条理と境界海域民社会の多様なダイナミズムをえぐりだした。

 最後に「セッション3A 民族と宗教の動態」は、3人の報告者が別々に行った報告内容が相互に刺激しあって、自然発生的なミニシンポジウムの様相を呈した。

 小池誠「東部インドネシア・スンバ社会におけるマラプ信仰と人権をめぐる動き」は、インドネシア東部のスンバ社会における、伝統信仰を保持する人々の置かれてきた婚姻証明書や出生証明書などの取得における不利益と、近年キリスト教徒スンバ人活動家の訴訟によって実現しつつある改善について明らかにした。彼ら活動家は、宗教とは別に信仰という概念が存在するものと位置づけた上で、公認宗教と認められない伝統的な信心活動文化をそのような信仰の一つであると主張することで、目的を達成したのである。

 大澤隆将「スク・アスリの先住民性と宗教選択」が、スマトラ島東岸、シアク川河口域の島嶼部に暮らすスク・アスリの社会に現在進んでいる、先住民性と宗教選択にかかわる変容を明らかにした。プラナカン華人と半ば融合しているようなスク・アスリがアイデンティティ主張を行うことにともなう、インドネシア華人一般の場合と同様な危険性に留意しつつ、ここでは違法な宗教とみなされかねないスク・アスリの文化的営為の正当化過程が解明された。彼らは、みずからの華人的な日常の崇拝活動を、あるときは公認宗教の仏教あるいはローカライズされた仏教と主張し、またあるときは宗教と信仰と慣習は別々で併存可能であるというように、複数の論理を場面に応じて採用しつつ、仏教信者としての立場を表明する。このことによって、伝統的な祖霊崇拝や慣習儀礼を、公認宗教である仏教として、あるいは仏教と併存可能な信仰や慣習として正当化したのである。

 中村昇平「集落と民族の帰属意識はいかに両立するか—ブタウィ人の武術と演劇の実践から」は、ジャカルタおよび近郊の比較的新しい民族としてのブタウィにおいて、ゴンベルというブタウィ独自の武術がアイデンティティの核心であり、ブタウィの統一性と集落ごとの多様性、さらには集落単位の統一性と個人の多様性を象徴することを明らかにした。具体的には、伝統としての武術を習得することや協力して技を発展させていくジャカルタ南郊のカンプン・ウタン集落における独自のゴンベル流派の実践が実は、自らがブタウィ人であり、その中のカンプン・ウタン集落民であり、その伝統を現在担い未来へ発展させていく個人である、という帰属意識を醸成強化する営みであることを詳細に描写した。

まとめ

 今大会では全般的に各報告を個別に議論するだけでなく、同一セッションのほかの報告と関連付けた議論が盛んであったが、セッション3Aで、特にその傾向が顕著にみられ、このセッション全体として、ここ20年におけるインドネシアの多様な民族文化の発展の傾向や、その必要性の理解に多くの示唆がなされた。

 このような複数の報告を連動させるような議論展開には、セッション中の聴衆の入れ替わりが少ないこと、音声とタイプチャットで並行して情報交換可能であったことなど、ウェブ開催であったことも一定程度寄与していると思われる。このような議論のありようを次回大会以降も継続・発展できればより大きな成果が期待できるだろう。ウェブ開催にはこのほか様々な効果があったように思う。筆者は次回大会以降も対面と同時にウェブ参加が可能であることに、運営の皆さまの大変なお骨折りに感謝しつつ、期待を表明したい。

河野佳春(弓削商船高等専門学校・准教授)